有限会社 うえの(広島県)
今回は、広島県廿日市市で明治時代に創業したあなごめしの名店「うえの」が登場!週末には大行列で1日1000食を売り上げる、知る人ぞ知る広島の名物グルメに。しかし過去には、地元の穴子がとれなくなって廃業の危機を迎えたことも。そんな中、先祖が残したあるモノがきっかけで大復活を遂げることに。さらに、運命を変えた黄金に輝く穴子との出会いとは?今回は100年以上にわたって伝統の味を守り続ける「あなごめしカンパニー」の物語に迫ります。
宮島名物「あなごめし」の名店「うえの」。明治時代、宮島で米問屋を営んでいた創業者の他人吉(たにきち)さんが、地元の宮島沖でとれる新鮮な穴子を使った「あなごめし」を考案したのが始まり。脂が乗った極上の穴子をふっくらと焼き上げた後に使うのが、創業から123年も受け継がれてきた秘伝のタレ。現在も当時と同じ製法を守り、代々継ぎ足しながら使われています。このタレに穴子を漬け込んだ後、じっくりと両面を焼き、再びタレに漬けることで、穴子の脂がタレに溶け込み、うま味が蓄積されていきます。こうして生まれたタレの深いコクが唯一無二の味わいを生み出し、全国にファンを持つ宮島名物として浸透していったのです。
明治34年、開業したばかりの宮島駅で駅弁として販売したことで、「あなごめし」は瞬く間に評判となりました。しかし、昭和14年に第二次世界大戦が勃発。穴子漁師の出兵や食料不足などが重なり、「あなごめし」の製造は中止。さらに、戦後の道路建設や海岸の埋め立てなどで宮島沖の穴子が激減し、廃業の危機が迫っていたのです。そんな時に見つけたのが、創業者・他人吉さんが残した形見「弁当の包み紙」でした。現社長の上野純一さんは元祖「あなごめし」として再び世に送り出すことを決意。地穴子に代わる「究極の穴子」を探し始めます。日本だけでなく世界各地で探し回った結果、長崎県対馬の西側・韓国沖の海域で脂のたっぷりと乗った「金穴子」を発見。念願だった弁当の包み紙も復刻させたことでブランド力も向上し、売り上げが回復。1日1000食を売り上げる宮島名物として復活を果たしたのです。