広島原爆「熱線の真実」被爆75年 よみがえる”石の記憶”
10/8(木) 19:50
広島と長崎に投下された原爆の破壊力についてこれまでの定説を覆す研究結果がこの度、発表されました。新たな結論を導いたのは75年前に熱線で焼かれた石の存在でした。
1945年、広島と長崎に投下された原子爆弾。この2発によっておよそ21万人の命が奪われました。
それぞれの原爆の爆発力は原爆資料館によると広島がTNT火薬16キロトン、長崎は21キロトンに相当。このほかの研究でもこれまで長崎の原爆の破壊力は広島を大きくしのぐものとされてきました。
ところが今回、その内容を大きく覆す研究結果が新たに発表されました。
「広島の原爆も長崎の原爆も爆発のエネルギーには大きな差がない」
本を書いたのは東京大学の田賀井篤平名誉教授。鉱物学が専門です。
【田賀井名誉教授】
「広島と長崎が今まで言われているように1・5倍の差ではなくてもっと差が少ないと結論を付けた」
田賀井・名誉教授が根拠としたのが『石の記憶』。東京大学には広島と長崎で被爆した石や瓦140点が大切に保管されています。これらの資料は国の原爆調査団の地学班を率いた東京大学の渡辺武男教授のグループが原爆投下後に現地を調査して集めたものです。
【田賀井名誉教授】
「これは島病院のすじ向いにあった清病院の屋根瓦です。緑色に緑化して溶けているこの部分中はまったく変化していない表面だけ変化している。これが原爆の熱線の最大の特徴です。要するに3000℃ぐらいの温度を1・何秒間ばっと照射すると中まで溶けない瓦は爆心地に近いところでは泡立ってしまう。これは蒸発という現象なんですねもうちょっといくと溶けるこれは溶融という現象もうちょっと遠くへ行くと何も起こらない。それがうまく距離と整合性があるようにサンプルが取れれば、一番原爆のエネルギーを地点地点で追っかけていくことができる。それが鉱物なり石の一番の利点なわけです」
原爆調査を行った渡辺教授のフィールドノートです。石や瓦を採集した場所や爆心地からの距離、被爆の状態など当時の状況が詳しく記録してあります。
渡辺教授はこのフィールドノートをもとに原爆被害の報告書をまとめました。広島原爆戦災誌にはその報告書をもとにこう書かれています。
『瓦は爆央から半径600mの円内では表面が溶融して泡立ちを示していた』
瓦が溶ける距離は600m以内と結論付けられました。ところが、田賀井名誉教授が10年を費やしてフィールドノートを見直したところ、あることに気付くのです。
【田賀井名誉教授】
「どこまで瓦が溶けどこまで花こう岩がはじけているか。この2つにしぼって先生の調査をもういっぺん繰り返してみたんです。我々も現地に行って渡辺先生のノートをもういっぺん見ていくと何か今まで言われたことより違っていた。しかも原稿を見てみると、先生間違っていた。距離がですね。どうして間違ったかわからない。長崎は間違ってないんですけど広島は非常に大きな間違いをしている」
渡辺教授による報告書の下書きです。県庁前で採取した瓦は爆心地からの距離580m「極めて軽微な瓦の熔融」、師団司令部で採取した瓦は爆心地からの距離600m「瓦に多少の焼け」と記されています。
【田賀井名誉教授】
「県庁前なんですがそこを580mと書いて計算してあるがじつは県庁は850mなんですね。距離が違うそれから師団司令部600mと書いてこれが800mなんです。そうすると850mや810mというので瓦が溶融しているその限界であるということから、今まで言われている600mというのは少し違うんじゃないかと」
東京大学に保管されているその師団司令部の瓦です。被爆した表面を拡大してみると細かいガラスの粒があり瓦が溶けていることがわかります。
【田賀井名誉教授】
「広島の瓦の熔融の限界というのが500mとか600mではなく800mから850mに及ぶということがどうも確からしいと、長崎は1000mこの限界を決めれば後は自動的に広島と長崎の原爆のエネルギーの比が出る大体両方とも20キロトンプラスマイナスやや長崎が強いというのが私の計算の結果なんですね。考えられているような1・5倍よりもはるかに広島と長崎の原爆のエネルギーの差が小さかった」
田賀井名誉教授は瓦以外に花こう岩も調査し今回の結論の裏付けを行いました。爆発地点の高度は広島の600mに対して長崎は500m。破壊力の違いは高度の差が引き起こしたと考えています。
【田賀井名誉教授】
「もう一つ重要なのことは今まで広島でも長崎でも熱線の照射時間というのはだれも計算していない。爆発後約3秒間に一挙に放出されたと言われているその根拠はどこにもない。瓦の溶融の具合から計算してみると熱線の照射時間というのは1・5秒程度であったであろうというのが今回の結果です」
被爆から75年。熱線によって刻まれた石の記憶が今、新たな結論への確かな証拠として蘇ったのです。
1945年、広島と長崎に投下された原子爆弾。この2発によっておよそ21万人の命が奪われました。
それぞれの原爆の爆発力は原爆資料館によると広島がTNT火薬16キロトン、長崎は21キロトンに相当。このほかの研究でもこれまで長崎の原爆の破壊力は広島を大きくしのぐものとされてきました。
ところが今回、その内容を大きく覆す研究結果が新たに発表されました。
「広島の原爆も長崎の原爆も爆発のエネルギーには大きな差がない」
本を書いたのは東京大学の田賀井篤平名誉教授。鉱物学が専門です。
【田賀井名誉教授】
「広島と長崎が今まで言われているように1・5倍の差ではなくてもっと差が少ないと結論を付けた」
田賀井・名誉教授が根拠としたのが『石の記憶』。東京大学には広島と長崎で被爆した石や瓦140点が大切に保管されています。これらの資料は国の原爆調査団の地学班を率いた東京大学の渡辺武男教授のグループが原爆投下後に現地を調査して集めたものです。
【田賀井名誉教授】
「これは島病院のすじ向いにあった清病院の屋根瓦です。緑色に緑化して溶けているこの部分中はまったく変化していない表面だけ変化している。これが原爆の熱線の最大の特徴です。要するに3000℃ぐらいの温度を1・何秒間ばっと照射すると中まで溶けない瓦は爆心地に近いところでは泡立ってしまう。これは蒸発という現象なんですねもうちょっといくと溶けるこれは溶融という現象もうちょっと遠くへ行くと何も起こらない。それがうまく距離と整合性があるようにサンプルが取れれば、一番原爆のエネルギーを地点地点で追っかけていくことができる。それが鉱物なり石の一番の利点なわけです」
原爆調査を行った渡辺教授のフィールドノートです。石や瓦を採集した場所や爆心地からの距離、被爆の状態など当時の状況が詳しく記録してあります。
渡辺教授はこのフィールドノートをもとに原爆被害の報告書をまとめました。広島原爆戦災誌にはその報告書をもとにこう書かれています。
『瓦は爆央から半径600mの円内では表面が溶融して泡立ちを示していた』
瓦が溶ける距離は600m以内と結論付けられました。ところが、田賀井名誉教授が10年を費やしてフィールドノートを見直したところ、あることに気付くのです。
【田賀井名誉教授】
「どこまで瓦が溶けどこまで花こう岩がはじけているか。この2つにしぼって先生の調査をもういっぺん繰り返してみたんです。我々も現地に行って渡辺先生のノートをもういっぺん見ていくと何か今まで言われたことより違っていた。しかも原稿を見てみると、先生間違っていた。距離がですね。どうして間違ったかわからない。長崎は間違ってないんですけど広島は非常に大きな間違いをしている」
渡辺教授による報告書の下書きです。県庁前で採取した瓦は爆心地からの距離580m「極めて軽微な瓦の熔融」、師団司令部で採取した瓦は爆心地からの距離600m「瓦に多少の焼け」と記されています。
【田賀井名誉教授】
「県庁前なんですがそこを580mと書いて計算してあるがじつは県庁は850mなんですね。距離が違うそれから師団司令部600mと書いてこれが800mなんです。そうすると850mや810mというので瓦が溶融しているその限界であるということから、今まで言われている600mというのは少し違うんじゃないかと」
東京大学に保管されているその師団司令部の瓦です。被爆した表面を拡大してみると細かいガラスの粒があり瓦が溶けていることがわかります。
【田賀井名誉教授】
「広島の瓦の熔融の限界というのが500mとか600mではなく800mから850mに及ぶということがどうも確からしいと、長崎は1000mこの限界を決めれば後は自動的に広島と長崎の原爆のエネルギーの比が出る大体両方とも20キロトンプラスマイナスやや長崎が強いというのが私の計算の結果なんですね。考えられているような1・5倍よりもはるかに広島と長崎の原爆のエネルギーの差が小さかった」
田賀井名誉教授は瓦以外に花こう岩も調査し今回の結論の裏付けを行いました。爆発地点の高度は広島の600mに対して長崎は500m。破壊力の違いは高度の差が引き起こしたと考えています。
【田賀井名誉教授】
「もう一つ重要なのことは今まで広島でも長崎でも熱線の照射時間というのはだれも計算していない。爆発後約3秒間に一挙に放出されたと言われているその根拠はどこにもない。瓦の溶融の具合から計算してみると熱線の照射時間というのは1・5秒程度であったであろうというのが今回の結果です」
被爆から75年。熱線によって刻まれた石の記憶が今、新たな結論への確かな証拠として蘇ったのです。