原爆の爆風や熱風に襲われた寺 声なき被爆建物を後世に伝える 特集「被爆79年 残された時間」

7/31(水) 20:30

被爆から79年が経ち被爆体験の継承と共に被爆建物の保存も大きな課題となっています。
広島市に登録されている被爆建物は86件あり、このうち民間所有の建物は64件あります。
市は被爆建物を残し後世に伝えていこうと木造建築は3000万円、非木造建築は8000万円を上限に保存費用を助成する制度を設けています。

しかし、被爆建物を当時のままの姿で保存していくというのは費用負担も大きく、所有者の「思い」に負う所が大きいのが実情です。
そうした中、文化的にも価値がある上被爆した寺を「何とか後世に残していこう」というある男性の思いを取材しました。

《VTR》
広島市西区田方にある曹洞宗・海蔵寺。
旧山陽道・通称西国街道沿いに建てられたこの寺は室町時代初めの14世紀頃には書物に登場し、江戸時代には浅野家の菩提寺にもなった由緒あるお寺です。
今は静かに佇むこの古い寺にもあの日の記憶が刻まれています。

1945年8月6日。
爆心地からおよそ5キロにある海蔵寺は爆風による建物の倒壊や熱風による火災の被害を受けました。
当日の様子を描いた被爆者の絵が残されています。
描いたのは小間義衛さん。
こう証言しています。

「草津の海蔵寺というお寺まで歩いていきましたが、けが人の山で、『水をください』という水を欲しがる弟と被災者の叫び声…。本堂はいっぱいの人で…。私たちは境内で一夜を明かし午後3時、弟は死にました」

先代の住職、福原正英さんは戦後生まれの被爆2世。
被爆した母や近所の人から原爆の被害や戦後の混乱期の話を聞いて育ちました。

【曹洞宗海蔵寺 前住職・福原正英さん】
「原爆の恐ろしさ、悲惨さ、あるいはまた原爆に遭った方々の無念さとか、ある意味では怒りとかそういったものが皆さん持っていらっしゃる訳で、人間ですからね、感情がありますのでね。そういったものをみな抑えて生活をしてらっしゃるわけなんですよね」

福原さんは海蔵寺の記憶を後世に残すためある決断をしました。
1826年に創建された「山門」の解体修理です。
「鐘」が吊るされた珍しい「鐘楼門」は、シロアリの被害が深刻で倒壊の恐れもあることが分かったのです。

【曹洞宗海蔵寺 前住職・福原正英さん】
「原爆もですが、ある意味では文化を後世に伝えていくということは必要なことなのかなと思いますけどね」

今年5月には工事が始まりました。

【砂原組・大隅孝文工事長】
「被爆建物ということなので、基本的には被爆した木材、被爆したものに関しては残して、できるだけ残しての工事になりますので、ほぼ文化財とかの修理と同じような形での工事になると思います」

出来る限り元の材料を活かす保存修理です。

【曹洞宗海蔵寺 前住職・福原正英さん】
「(原爆の)悲惨さというものはやはり伝えなくてはいけないな、そういう一助にこの山門がなっていただければ有難いなと、思うわけなんですよね」

そうした思いに工事を手掛ける大隅さんも応えようとしています。

【砂原組・大隅孝文工事長】
「ここにあるのが古い材料で、もう使えない材料ですね。柱に関しては、終わってからお寺の方で保存も考えてる。被爆しているよというのが分かるように、こっちから見たら分かるんで、ちょっと黒く焦げてるんで」

被爆にも耐えた木材もシロアリの被害が。
戦後79年という年月は想像以上に建物をむしばんでいました。

【砂原組・大隅孝文工事長】
「ここら辺の材料は、今チョークしてあるんですけれども、こういう風にダメなところをチェックして。ああいう風に直していくと。この部分を切って接ぎ木をしていく感じになります」

「被爆建物の修理というので後世に残していくというのがまず一つ、住職の思いであったり、今後その建物を残していくための職人の育成だったりとか」

建て替えに比べ、工期も費用もかかる保存修理をあえて選んだ理由には物言わぬ証人としての建物を残すことに加え、宮大工の技術の伝承という意味合いもあります。

【砂原組・大隅孝文工事長】
「これ(扉)かなりいいものなので一応このまま今買うとかなりの値段すると思うので、一枚板なので」

これほどの木材は、今ではなかなか手に入らないといいます。
そこで福原さんは将来の修繕のことも考え、敷地の山にヒノキを植林しました。

【曹洞宗 海蔵寺 前住職・福原正英さん】
「本堂やら山門とか木材を使うところを自前でできるようにすればヒノキは50年、60年で使えますよとか言われますから、その時期になった時に山から木を切ってやり替えればいいねって」

間伐などの手入れを続け将来に備えるためです。

【曹洞宗 海蔵寺 前住職・福原正英さん】
「原爆だけじゃなくて戦争が二度と起こらないようにしていただくいうことが大事なことじゃないかなーなんて思うんですけどね。それを考えるきっかけになっていただけたらいいんですけどね」

戦乱の世を、幾度となく見守ってきた海蔵寺。
山門は来年3月にも竣工し、その記憶を後世に語り続けます。