衰え感じながら「生きた証し」しるす 被爆者 池亀和子さんが見届けた79年目の原爆の日

8/6(火) 18:24

体力の衰えを感じながらも原爆死没者名簿に犠牲者の名前を刻み込んできた被爆者がいます。一文字一文字に思いを込める姿を見つめました。

6日午前、自宅から平和記念式典を見届けた池亀和子さん。
特別な思いで見つめるその視線の先には…

《平和記念式典》
「ただいま奉納いたしております原爆死没者名簿には5079名の名前が記されています」

この、原爆死没者名簿に名前を書き記したのが池亀さんです。
原爆を生き延び、今年82歳を迎えました。

池亀さんが原爆死没者名簿に初めて記帳したのはおよそ40年前。
原爆を経験した市の職員が代々担ってきたこの大役を、池亀さんは1992年から毎年欠かすことなく務めてきました。

しかし、この夏体調を崩して入院し自宅に帰ってきたのは1か月後でした。
遅れを取り戻すかのようにぎりぎりまで記帳を続けました。

そして、5日、池亀さんの姿が平和公園にありました。
式典前日に新たに確認された原爆犠牲者の名前を書き入れます。
今年もまた、最後の一冊を書き終えました。

【記帳者・池亀和子さん】
「これが供養だと思って書かせていただきました。今起きている戦争とか色んな平和じゃないことが起きているじゃないですか。それが早く収まってほしいなとは思います」

大役を果たし池亀さんが向かった先は。

【池亀和子さん】
Q:どれくらいぶりですか?
「ずいぶんでしょうよ」

これまで自身が書き記してきた9万人以上の名前が眠る原爆慰霊碑です。

【池亀和子さん】
「長年書いたという思い出ですね。(してきたことは)無駄ではなかったと思います」

池亀さんが筆を通して向き合ってきたのは被爆者ひとりひとりの生きた証。
体の衰えを感じながらも静かに79年目の8月6日を迎えました。

(スタジオ)
名前を刻んできたおひとりおひとりにも人生、そして大切な命がありました。使命感という言葉だけで片付けられるほど、この作業は簡単なものではなかったと思います。10年、20年先を考えた時に、これから誰がどのような思いを込めて名前を刻んで行くかのか、私たちも考えていく必要があるのではないでしょうか。