広島と長崎で被爆した「二重被爆者」 その数奇な運命を語り継ぐ…長崎の高校生が見たヒロシマ

8/6(火) 20:30

広島市のの平和公園からテレビ新広島とテレビ長崎の合同中継で広島と長崎へ同時にお届けしていきます。

テレビ長崎アナウンサーの吉井誠です。
テレビ新広島アナウンサーの加藤雅也です。

被爆から79年、被爆者の数は、今年11万人を下回りました。
原爆の惨禍を味わった広島と長崎の被爆者の声を次世代へどう届けていくか被爆地の放送局として私たちも問い続けています。

テレビ新広島とテレビ長崎の二つの放送局では、被爆者のみなさんの声により耳を傾け届けていく「つたえる・つなげる」キャンペーンをこれから全国・世界へ向け展開していきます。

8月6日、広島の祈りの日のきょうは、次世代へどう繋いでいくか「継承」について考えていきます。

ゲストをご紹介します。
長崎市の長崎南山高校3年生の原田晋之介さんです。

原田さんは現在18歳で、被爆4世として継承活動に臨んでいます。
彼の背景をまとめました。

<VTR>
【故山口彊さん】
「人間の墓場。人類の墓場と言っていいかもしれない」

山口彊(やまぐち つとむ)さん、享年93歳。
原田さんの曽祖父です。
三菱重工長崎造船所に勤めていた山口さん。
79年前、出張先の広島で原爆にあいました。

焼野原となった広島を離れ、長崎に戻った山口さん。
山口さんは、9日、長崎でも原爆にあったのです。
その苦しみを、国内外で伝え、2010年に亡くなりました。

曾祖父が被爆証言を始めた年に生まれた晋之介さん。
3歳で曾祖父が亡くなったため記憶はありませんが、祖母、母が語りつぎ、伝えていく様子を見てきました。
そして小学5年生のときから曾祖父の紙芝居などを通し、伝え始めました。
18歳の今も平和活動を続けています。

(映画+「ヒロシマ ナガサキ最後の二重被爆者」より)
【故・山口彊さん】
「平和な世界を私たちが生きる限り続けたいものです」

二重被爆という数奇な運命を背負った曽祖父の想いを受け継ぎ伝える被爆4世の想いとは?

<中継>
山口さんは90歳になってから語り部活動を始めたという、非常に使命感の強い方でした。
どんなひいおじいさんでしたか?

【原田晋之介さん】
「僕が3歳の時に亡くなったので、ほとんど記憶がないのですが、紙飛行機を作ってくれたり、一緒に散歩に行ったり、本というに優しい日いおじいちゃんという印象ですね」

原田さんは小学5年生の時から継承活動を続けているということですが、どんな思いで活動されていますか?

【原田晋之介さん】
「曽祖父は二重被爆者という非常に珍しい境遇にいるので、長崎、広島一方で被爆した人はまた違う苦悩とか経験があって、それを伝えないわけにはいかないという使命感があって、今も継承活動を続けています。

ただ一方で、ひいおじいさんの話を充分に聞けた年齢ではなかったわけですよね。私が伝えていいんだろうかっていう迷いや葛藤というのはなかったんですか?

【原田晋之介さん】
「中学生の時にやっぱり自分が三才の時に亡くなって直接被爆体験も聞いた事がないっていう中で。そうやって敬称活動することにはとても違和感を抱いていて、すこし消極的になってなった時期もあったんですが、被爆者のの方から被爆4世という肩書き、レッテルがある以上、その発信力を生かして活かして行かないといけない。そして、君のひいおじいちゃんは二重被爆という珍しい境遇にいるから、その経験とか苦悩を伝えていかなければいけないよっていう言葉をいただいて。自分もはっとさせられて、今も検証活動を続けています」

原田さんはきょう、平和記念式典も見学をされてということですけれども、5日に広島に入りまして、広島で平和活動している高校生と交流をしたということなんです。

【原田晋之介さん】
「やっぱり広島長崎って違うのかなって思ってたんですけど、そのひとりひとりの想い、非核平和の思いは、やはり変わらないんだなって思いましたね。そして、さまざまな場面でさまざまな形であの平和を訴えているという姿を見て、自分もすごい刺激を受けました」

<VTR>
原田さんが熱心に見つめる視線の先にあるのは原爆の悲惨な様子が描かれた「絵」です。
広島市立基町高校は2007年から被爆者の体験を直接聞き取り、絵にする活動を行っています。

【基町高校2年・辻邊ひなたさん】
「証言者の話を聞いて原爆への怒りや父親を失なった悲しみを涙ながらに話してくださるのを聞いて、この絵の中だけじゃない証言者の思いを乗せられるように自分も意識して書いた」

「絵」に込めた同世代の率直な思いに刺激を受けます。

【原田晋之介さん】
「被爆者との交流で新しい気づきや自分が知らなかった被爆の実相はありましたか?」

【基町高校3年樋口文美菜さん】
「ずっと生きていけた命が簡単に奪われてしまうことが核兵器なんだということを再認識できて気づけた。この絵を書いてよかった」

【原田晋之介さん】
「絵は止まっているけど、動いているように見える印象の与え方、描き方は本当にすごい」

次に交流したのは広島県立広島皆実高校。
この学校では生徒会のメンバーが被爆体験を語り継ぐ活動をしていて、毎年8月6日は、被爆して亡くなった先輩たちの追悼もしています。

卒業生の被爆者に寄り添い追悼する生徒たち。

【西区高須で被爆・河田和子さん(92)】
「語ろうと思っても涙が出て語れなかった。話さないと言ったのに(皆実高校の)高校生の皆さんが色々な質問をしてくれたことに生きる力をもらった」

【原田晋之介さん】
「広島に対する思いをもっと強くしたい。広島と長崎を繋ぐ力を僕がもっと大きくできれば」

【西区高須で被爆・河田和子さん(92)】
「ぜひお願いしたいと思う。歴史を繋いでもらわないといけない」

【原田晋之介さん】
「長崎の原爆に対する思い広島の原爆に対する思いは所々違うけど、知ろうとする気持ちとパッション(熱意)は変わらない。もっと長崎と広島の繋がりを力強くしたい」

<中継>
10代の高校生が被爆者の言葉を受け止めて、発信していこうと踏み出す、踏み込む姿勢が非常に印象的でした。
きょう8月6日、広島原爆の日は、山口彊さん、ひいおじいさんが被爆した日でもあります。どういった思いで広島に降り立ちましたか?

【原田晋之介さん】
「やはり、曾祖父の体験を直接聞いていないということなので、自分で被爆証言ビデオを見たり、そういうもので曽祖父について知ろうとして来ましたが、こうやって現地に行くことによって、やっぱり、それだけでは想像し切れなかったことというものも、自分で学ぶことができたので、本当にこの広島に来て良かったなって感じています」

被爆4世として、これから先どんな未来を描いていますか?

【原田晋之介さん】
「やっぱり僕が伝えたいことは若い世代が発信するということですね。そのインプットの平和学習などはやっていますが、アウトプットがみんなできていないなと感じています。特に広島、長崎の学生たちは、そのインプット平和学習というのをたくさんやってきたので、これからアウトプット、例えば僕だったら紙芝居を使っていますが、絵だったり演劇だったり書道だったり、そういう様々な媒体で平和を伝えていってほしいなあって思っています」

伝える形、これがいろんな形でいろんな人に届けばいいなと思います。きょうはどうもありがとうございました。
広島市の平和公園から広島と長崎同時中継でお伝えしてきました。

「つたえたい・つなげたい」の想いを胸に、これから、ヒロシマ・ナガサキの両被爆地の放送局で力を合わせ被爆地の想いを全国・世界へ発信していきます。