沿線まるごと登録有形文化財 鳥取・若桜鉄道 名所「隼駅」ライダー2700人集結 好き過ぎて移住者も

8/28(水) 20:30

鉄道の魅力を熱くお伝えする野川キャスターの「てつたま」。
前回から広島県を飛び出して、鳥取県東部の第3セクター若桜鉄道を取材しています。
地方のローカル線ということで経営状況は厳しいんですが、それを応援する地元の取り組みには非常に熱いものがありました。

それでは…

【野川キャスター】(前回の様子)
「わー、いいムードですよ」

≪警笛≫

前回は郡家駅から列車に乗り込み、若桜鉄道を盛り上げようと活動する地元の住民グループ、山村さんの案内で、わずか一駅の列車旅。

【隼駅を守る会 山村俊太さん・野川キャスター】
「(車掌さんへ)ありがとうございました。お世話になりました」
「はい、おー!郡家駅から一駅の八頭高校前駅」

下車した駅は八頭町唯一の高校の目の前。生徒たちにも気軽に利用してもらおうと区間運賃は日本最安値タイの100円でした。
通学時間帯の列車内は東京のラッシュアワーも真っ青!生徒でごった返します。
さらに駅舎は工業デザイナー、水戸岡 鋭治さんが手がけたレトロなデザインになっていました。
そして、若桜鉄道のさらなる魅力を教えてもらいました。

【隼駅を守る会 山村俊太さん・野川キャスター】(今回はここから)
「若桜鉄道の活性化の施策の一つとして、始まった、こちらですね。はい」
「あちら?」
「はい。第一八頭川橋梁」
「第一八頭川橋梁?」
「はい。郡家駅を出て一つ目の橋になります。2009年に登録有形文化財というものに登録されておりまして。若桜鉄道のさまざまな施設、駅舎。これまとめて23施設、全部一気に登録有形文化財に登録されていると」

若桜鉄道は全長19.2キロの短い鉄道ですが、沿線には昭和初期の鉄道施設がほぼそのままの姿で残り、これを地元の有志が復元。
2008年、国の有形文化財に登録されました。
沿線が丸ごと登録有形文化財となるのは、若桜鉄道が初めてで、周辺の人口が減る中、鉄道を観光資源として全国にアピールする目的もありました。

【隼駅を守る会 山村俊太さん・野川キャスター】
「沿線丸ごと、そういう施設が残っていたっていうのが、まず貴重と」
「なんか登録有形文化財でこうね、広い世界にポンって、あるような建物だけ1個あるようなイメージ」
「1個だけとかっていうのがありますけど」
「ですよね?」
「駅の設備。それも合わせて、いろいろ残っていたと言うのが、評価されまして」
「山村さん的なこの橋梁の魅力はどんな所ですか?」
「やっぱりこの風景ですか?春夏秋冬、さまざまな風景、表情を見せてくれます。自然に菜の花が咲くということなんですけども、これもすごく綺麗ですし、冬になれば冬になったで、草は無くなって、周り一面真っ白。で、ガーダー橋に少し雪が付いたりしてですね。
より一層、車体と鉄橋が引き立つというような冬の風景もまた、これも魅力の一つかなというふうに思います。あ!あともう一つマニアックなことを言うとですけど、若桜鉄道のレールの長さ、実はJRのものよりかなり短いので、音を聞いていると、こっちの因美線の音は軽快な音がするんですけど。こちらはなかなか重厚感のある、ドスンドスンという。
通常とは異なるレールのジョイント音が聞こえますので、音鉄の人はこの辺も気になるところではないかなと」
「ここはじゃあ、テーマパークみたいな感じですね」
「そうですね。自然の若桜鉄道まるごとテーマパークと言っても過言では無いかも知れないですね」
「名言いただきました」

続いてやってきたのは、郡家駅からおよそ4キロの場所にある隼駅です。

【野川キャスター】
「いいですね。駅員さんここに立って。切符をね、パチパチやっていたんでしょうね」

昭和4年、1929年建造の木造の駅舎やホームはもちろん有形文化財に登録されています。
木造の駅舎は昭和の趣きを残す、ノスタルジックな雰囲気が漂います。

【隼駅を守る会 山村俊太さん・野川キャスター】
「ここで山村さんに待っておいて欲しいと言われたんですけど…あれ?『隼』(スズキの大型バイク)じゃないですか、これ?」
「私の『隼』です」
「私の『隼』です。カッコいいですけど、隼駅に『隼』」
「はい、そうです」
「これがつまり、ここで待っておいて欲しいとおっしゃった理由ですね」
「その通りです。この駅自体はできたのが、若桜鉄道の開業の年、昭和5年から営業を開始しているので。こちらのバイクは1999年にデビューしたバイクです。時を経てまさかのコラボレーション」

スズキの大型バイク、『Hayabusa』と同じ名前の隼駅は、現在、バイクのライダーから聖地と呼ばれる存在に!駅舎には『Hayabusa』のポスターが貼られています。

【隼駅を守る会 山村俊太さん・野川キャスター】
「一番最初はインターネットが本当に普及する前。まだスマホもない時ですね。2005~6年位から、ちょこちょこと、このバイクに乗った人が来始めているのを見かけた地元の皆さんが、なんかバイクが最近よくここにきていると。で、そこからですね。
若桜鉄道の職員さんがスズキに働きかけをされまして、ポスターを1枚送っていただいたのがきっかけです」
「へー」

実はかく言う山村さんも、『隼』がきっかけで八頭町へ移住した一人でした。

【隼駅を守る会 山村俊太さん・野川キャスター】
「そもそも山村さん、出身はこの辺りなんですか?」
「ちょっと違いまして、私、出身は奈良県です」
「奈良?」
「はい。たまたま隼駅というのがあると知って遊びに来たのが、最初で。その時はまだ『隼まつり』というのもなくて、ただ遊びに来た。駅に来たっていうだけだったんですけれども。
何度か遊びに来てる間に、地元の方と仲良くなり、祭りを手伝うようになりと。2016年に引っ越してきてしまいました」
「えー!ということは、やっぱり若桜鉄道があり、隼駅があって、山村さんはこの地とご縁ができた」
「そうですね。やっぱり若桜鉄道はなくてはならないと言いますか、私にとって人生の大きな転機になった鉄道かなと思います」

山村さんは現在、隼駅を中心に若桜鉄道を応援する住民グループ、『隼駅を守る会』のメンバーとして活動。
毎年夏に行う『隼駅まつり』には、今年は過去最多の2500台2700人が全国から訪れました。

2016年から運行を始めた隼ラッピング列車は現在3代目のデザインで毎年、祭ではライダーから注目の的です。

【隼駅を守る会 山村 俊太さん・野川キャスター】
「ちょうど、『隼』のラッピングの車両が来ましたね」
「そんな偶然がこれ。『隼』、トリプルコラボですよ」
「バイクの『隼』。駅の『隼』。列車の『隼』。この間の日曜日はもう皆さん、これが来たらわーっと」「ここに『隼』、置いて見に行く」
「駅前に人、誰もいない。みんなホームに行ってしまって。ホーム大賑わいって感じでした」

大型バイク、『隼』とのつながりで若桜鉄道を盛り上げようと活動する「隼駅を守る会」。
若桜鉄道は住民グループの熱い思いに支えられています。

【隼駅を守る会 山村俊太さん・野川キャスター】
「ここから先はどういった存在になって欲しいと思いますか」
「乗る人もどんどん学生も減っているので、観光でこういう昭和の香りが残る物を見に来てもらって廃線にならないように、一日でも長く走ってほしいと思います」

<スタジオ>
【野川キャスター】
隼駅を守る会の山村俊太さんなんですが、前職がなんと新幹線の車掌さんです。

【スタジオ一同】「エー」
「てつたま」に懸ける情熱は、それなりに大ありの状態で来ていると思われますね。

【野川キャスター】
私、相通じるものを感じます。本当に若桜鉄道、沿線に大きな街があるわけではないんですよ。地元の皆さんの熱意に支えられているんですね。