113年の歴史持つ「手焼きせんべい」の店 のれん引き継いだ若者の思い 広島

9/9(月) 20:30

特集は、113年の歴史を持つ手焼きせんべいの店。
のれんを継いだのは広島に越して来たばかりの若者でした。
伝統の味、そして広島の歴史と向き合う姿を取材しました。

広島市中区の吉島地区に店を構える「芸陽堂」。
店には昔ながらの手焼き「せんべい」が並び、看板商品は広島ゆかりの歴史家から名前をとった「頼山陽煎餅」です。

「焼き手」は畔柳僚太(くろやなぎ りょうた)さん。
愛知県出身の28歳です。
先月オープンしたばかりの真新しい店内で目を引くのは、歴史を刻む古い道具たち。

【畔柳僚太さん】
「これは芸陽堂で使われていた秤で、2~3代目から使っているので」

この店のはじまりは113年前にさかのぼります。
明治期に現在の中区大手町で創業した芸陽堂は1945年、戦況の悪化で一度廃業に。
その7年後、中区堺町で復活を遂げます。
そこから長きにわたり伝統を守り続けていましたが、店主の高齢化などにより去年惜しまれつつも閉店しました。
閉店を知り声をかけたのが、せんべいを注文したことがある資材メーカーの社長でした。

【資材メーカー ナガ・ツキ 長谷川晴信 社長】
「新聞見て知ったかなと思うんだけど、それは非常にもったいないなと思って。うちで引き継がせて下さいということで話をさせてもらったんです」

道具を譲り受け後継者を求めていた矢先に畔柳さんと出会いました。
若者の目線で伝統を進化させてほしいと期待します。

【長谷川晴信 社長】
「歴史というか伝統に恥じないような新たな広島土産を作りたい」

「芸陽堂」の一日は仕込み作業で始まります。
卵黄・砂糖・小麦粉のシンプルな素材を1時間かけて混ぜ合わせます。

【畔柳僚太さん】
「手でやるとよく混ざる。せんべいの生地を作る上で一番大事なポイントなんですけど、手で混ぜながら生地のかたさを確認する」

菓子づくりの経験はなかった畔柳さん、なぜ継ごうと思ったのか。

【畔柳僚太さん】
「芸陽堂を歴史を知って、この歴史を守らなきゃいけないという思い一心ですね。明かりを守っていこうというのが理由ですね」

しかし113年間守られてきた焼き方を習得するのは簡単ではありません。
手焼きは生産枚数に限界がある上、火の加減が難しく、温度が安定するまで焦げたり穴が開くなどして半分以上は商品になりません。

【畔柳僚太さん】
「一番最初をミスするとずっと焼けなくなっちゃうから、生地を作った時間も無駄になっちゃうから。焼き損でロスが5~6割でしまう日もあるので、機械化して廃棄を減らしていきたい」

手作業も一部に残しながら機械化でロスを減らす。
まさに、伝統を進化させようとしています。

【畔柳僚太さん】
「オープン当初は芸陽堂に行かれている方がおおかったんですけど、最近は吉島近辺の方や口伝いで来てくれる方が多くなった」

広島に移り住んで1年。
畔柳さんが訪れたのは頼山陽史跡資料館です。
頼山陽が残した功績からせんべいの名前に付けられたその背景を探ります。

【畔柳僚太さん】
「なんで「頼山陽」の名を芸陽堂が付けたのかなって疑問に思って」

【頼山陽資料館の人】
「やっぱり「知名度」。みんなが知っているというのが理由にあったと思う」

言葉の力を巧みに使った頼山陽の作品は多くの人に感銘を与え愛されてきました。

【頼山陽資料館の人】
「(芸陽堂が)閉店されるときいて「あぁ」と思ってたんですよ。また買いに行ける。よろしくお願いします」

時代を超えてなお人々を魅了する頼山陽と2度の廃業を経ても守り継がれたせんべい。

【畔柳僚太さん】
「頼山陽を知らない方が増えてきているので、頼山陽のことを知っていただいて、また頼山陽せんべいのことを知っていただけたら嬉しい」

歴史を進化させる第一歩を踏み出しました。