映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」家族の今 老いゆく社会に「感謝して暮らそうや」
11/26(火) 20:30
呉市に住む認知症の母と高齢の父を娘が撮影した映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」104歳になった父を働きながら支える娘の姿を見つめました。
シリーズ「老いゆく社会」の第4弾です。
父の背中をかいてあげる、母の信友文子さん。
【信友良則さん】「かいかいかい」
【信友文子さん】「長生きしたね」
【信友良則さん】「長生きした」
耳が聞こにくくなった父、良則さん。
【信友文子さん】「ええ女房じゃね」
【信友直子さん】「この薬をどうするん?」
【信友文子さん】「これを飲む」
【信友直子さん】「さっき飲んだじゃん」
【信友文子さん】「飲んでない。飲まんじゃろ」
母は85歳で認知症と診断され、父は95歳でこれまでやったことがなかった家事を始めました。
【信友良則さん】「こりゃいけんわ」
夫婦を撮影したのはテレビ番組のディレクターを務める娘の直子さん。
夫婦の姿が映画化された『ぼけますから、よろしくお願いします。』は、日本中に感動を巻き起こしました。
連れ添って60年の夫婦。
しかし、母が脳梗塞を発症。
別れの日がやってきました。
【信友良則さん】
「長いこと世話になったな。ありがとな。わしもええ女房をもらったと思っています」
母は眠るように息を引き取りました。
父の良則さんが認知症の妻を一途に思う姿は多くの人々の心を動かしました。
その母が亡くなって4年。
【信友直子さん】
「お父さん。私は行ってきます。きょうは泊まり。さびしい?あしたは帰る」
映画が大ヒットしたことで、直子さんには両親を支えてきた経験を話す講演の依頼が舞い込むように…全国各地に足を運ぶ忙しい日々です。
直子さんが留守の間、104歳になった父は一人で暮らしています。
何か異変が起きないか心配です。
【百野友美さん】
「はい信友です」
「大分県から電話。お父さん104歳ですごいと言っていた」
直子さんの幼馴染、百野さん。
退職をきっかけに良則さんの生活を手伝い始めました。
良則さんは年を重ねるとともに一人で暮らすことが難しくなってきました。
【信友直子さん】「こっちはもういい?」
【信友良則さん】「口を拭いてくれ」
【信友直子さん】「かわいらしい。赤ちゃん。お父さんが若い頃直子は触らなかったね。聞こえない。もうええわ」
東京で働いていた直子さんは今、実家を拠点に仕事をしながら父を支えています。
【信友直子さん】「母がよく作っていた。味噌を入れ過ぎたかな」
鯛のアラを入れた味噌汁は忘れられないおふくろの味です。
直子さんが今、直面していること。
それは限られた父との残りの時間を一緒に過ごすのか、それとも仕事を続けるのか、という選択です。
【信友直子さん】「ヘルパーに頼む気はない?」
【信友良則さん】「頼む気はない」
【信友直子さん】「これから先もずっと家にいる?」
【信友良則さん】「死ぬまでいる」
【信友直子さん】「施設には入らない?」
【信友良則さん】「ほうよ。身内のところにいた方がええ」
【信友直子さん】「仕事は続けていきたい。父と母のことで皆さんに伝えることができた。伝えて楽になってほしい。続けていきたい。どうしたらいい?」
【信友直子さん】「最後は一人で暮らせないから直子が帰ってきてほしい?」
【信友良則さん】「それが一番いい」
【信友直子さん】「直子が帰ってきます」
【信友良則さん】「ありがとう」
【信友直子さん】「そういうことになりました」
夫婦が連れ添った60年。
仲の良さは母が認知症になっても変わりませんでした。
しかし、一度だけおとなしい父が怒鳴ったことがありました。
【信友文子さん】「邪魔になるなら死にたい」
【信友良則さん】「感謝して感謝して暮らせ。皆がよくしてくれている」
【信友文子さん】「してくれない。私のおるところがない」
【信友良則さん】「馬鹿たれ!死ね!そんなに死にたいなら死ね!」
【信友直子さん】「お前は感謝の気持ちを忘れたのか?と怒っていた。介護サービスのケアマネさんやヘルパーに世話になりながら母の生活は成り立っていたのに、感謝の気持ちが何でないんだ。母が昔から感謝を大事にしている人だったのに、認知症になったからといって一番の良いところを何でなくすんだ。人に感謝をするところが、一番父が母に惹かれたところ」
【信友良則さん】「思いやりがあった。おっかあに。人間的に好きだった」
(2001年)
【信友直子さん】「お母さんにご飯作ってもらってええね」
【信友文子さん】「感謝の生活。年金は少ししかないのに自分の趣味のことして過ごして」
【信友直子さん】「感謝しとるんじゃと」
この日、父と訪れたのは地元の映画館。
104歳の誕生日を映画のファンが祝ってくれました。
【信友直子さん】「今も母のことを思い出す?」
【信友良則さん】「思い出します。夢に見ることもあります。さびしい」
【ファン】「誕生日おめでとうございます」
【信友良則さん】「ありがとうございました」
【信友直子さん】「ありがとうございます」
【信友直子さん】「母は自分の病気をおおやけにされることが父も母も恥ずかしかった。娘のために被写体になってくれた。父にも母にも感謝しなくちゃ」
母が何よりも大切にしてきた感謝の思い。
母の気持ちは残された家族の心に今も息づいています。
《スタジオ》
良則さんが「感謝して暮らせ!」と話していました。
認知症の人の対応マニュアルには「認知症の人を怒ってはいけない」と書かれています。
しかし、良則さんにとってマニュアルは関係なく、ただシンプルに「お前の一番いいところをなくしたらだめだ」と妻に伝えたいだけでした。
【コメンテーター:広島大学大学院・匹田篤准教授】
「死ぬまでに自宅にいたい、身内といたというのは、多くの人の望みだと思います。そういう中で直子さんは大きな決断をしたし、幼馴染の女性の存在は非常に大きいですね」
このような良則さんが認知症の妻に残した言葉を紹介している本、「あの世でも仲良う暮らそうや。104歳になる父がくれた人生のヒント」が販売されています。
老いること、生きること、愛する人と人生をともにすることを考えたくなる一冊です。
シリーズ「老いゆく社会」の第4弾です。
父の背中をかいてあげる、母の信友文子さん。
【信友良則さん】「かいかいかい」
【信友文子さん】「長生きしたね」
【信友良則さん】「長生きした」
耳が聞こにくくなった父、良則さん。
【信友文子さん】「ええ女房じゃね」
【信友直子さん】「この薬をどうするん?」
【信友文子さん】「これを飲む」
【信友直子さん】「さっき飲んだじゃん」
【信友文子さん】「飲んでない。飲まんじゃろ」
母は85歳で認知症と診断され、父は95歳でこれまでやったことがなかった家事を始めました。
【信友良則さん】「こりゃいけんわ」
夫婦を撮影したのはテレビ番組のディレクターを務める娘の直子さん。
夫婦の姿が映画化された『ぼけますから、よろしくお願いします。』は、日本中に感動を巻き起こしました。
連れ添って60年の夫婦。
しかし、母が脳梗塞を発症。
別れの日がやってきました。
【信友良則さん】
「長いこと世話になったな。ありがとな。わしもええ女房をもらったと思っています」
母は眠るように息を引き取りました。
父の良則さんが認知症の妻を一途に思う姿は多くの人々の心を動かしました。
その母が亡くなって4年。
【信友直子さん】
「お父さん。私は行ってきます。きょうは泊まり。さびしい?あしたは帰る」
映画が大ヒットしたことで、直子さんには両親を支えてきた経験を話す講演の依頼が舞い込むように…全国各地に足を運ぶ忙しい日々です。
直子さんが留守の間、104歳になった父は一人で暮らしています。
何か異変が起きないか心配です。
【百野友美さん】
「はい信友です」
「大分県から電話。お父さん104歳ですごいと言っていた」
直子さんの幼馴染、百野さん。
退職をきっかけに良則さんの生活を手伝い始めました。
良則さんは年を重ねるとともに一人で暮らすことが難しくなってきました。
【信友直子さん】「こっちはもういい?」
【信友良則さん】「口を拭いてくれ」
【信友直子さん】「かわいらしい。赤ちゃん。お父さんが若い頃直子は触らなかったね。聞こえない。もうええわ」
東京で働いていた直子さんは今、実家を拠点に仕事をしながら父を支えています。
【信友直子さん】「母がよく作っていた。味噌を入れ過ぎたかな」
鯛のアラを入れた味噌汁は忘れられないおふくろの味です。
直子さんが今、直面していること。
それは限られた父との残りの時間を一緒に過ごすのか、それとも仕事を続けるのか、という選択です。
【信友直子さん】「ヘルパーに頼む気はない?」
【信友良則さん】「頼む気はない」
【信友直子さん】「これから先もずっと家にいる?」
【信友良則さん】「死ぬまでいる」
【信友直子さん】「施設には入らない?」
【信友良則さん】「ほうよ。身内のところにいた方がええ」
【信友直子さん】「仕事は続けていきたい。父と母のことで皆さんに伝えることができた。伝えて楽になってほしい。続けていきたい。どうしたらいい?」
【信友直子さん】「最後は一人で暮らせないから直子が帰ってきてほしい?」
【信友良則さん】「それが一番いい」
【信友直子さん】「直子が帰ってきます」
【信友良則さん】「ありがとう」
【信友直子さん】「そういうことになりました」
夫婦が連れ添った60年。
仲の良さは母が認知症になっても変わりませんでした。
しかし、一度だけおとなしい父が怒鳴ったことがありました。
【信友文子さん】「邪魔になるなら死にたい」
【信友良則さん】「感謝して感謝して暮らせ。皆がよくしてくれている」
【信友文子さん】「してくれない。私のおるところがない」
【信友良則さん】「馬鹿たれ!死ね!そんなに死にたいなら死ね!」
【信友直子さん】「お前は感謝の気持ちを忘れたのか?と怒っていた。介護サービスのケアマネさんやヘルパーに世話になりながら母の生活は成り立っていたのに、感謝の気持ちが何でないんだ。母が昔から感謝を大事にしている人だったのに、認知症になったからといって一番の良いところを何でなくすんだ。人に感謝をするところが、一番父が母に惹かれたところ」
【信友良則さん】「思いやりがあった。おっかあに。人間的に好きだった」
(2001年)
【信友直子さん】「お母さんにご飯作ってもらってええね」
【信友文子さん】「感謝の生活。年金は少ししかないのに自分の趣味のことして過ごして」
【信友直子さん】「感謝しとるんじゃと」
この日、父と訪れたのは地元の映画館。
104歳の誕生日を映画のファンが祝ってくれました。
【信友直子さん】「今も母のことを思い出す?」
【信友良則さん】「思い出します。夢に見ることもあります。さびしい」
【ファン】「誕生日おめでとうございます」
【信友良則さん】「ありがとうございました」
【信友直子さん】「ありがとうございます」
【信友直子さん】「母は自分の病気をおおやけにされることが父も母も恥ずかしかった。娘のために被写体になってくれた。父にも母にも感謝しなくちゃ」
母が何よりも大切にしてきた感謝の思い。
母の気持ちは残された家族の心に今も息づいています。
《スタジオ》
良則さんが「感謝して暮らせ!」と話していました。
認知症の人の対応マニュアルには「認知症の人を怒ってはいけない」と書かれています。
しかし、良則さんにとってマニュアルは関係なく、ただシンプルに「お前の一番いいところをなくしたらだめだ」と妻に伝えたいだけでした。
【コメンテーター:広島大学大学院・匹田篤准教授】
「死ぬまでに自宅にいたい、身内といたというのは、多くの人の望みだと思います。そういう中で直子さんは大きな決断をしたし、幼馴染の女性の存在は非常に大きいですね」
このような良則さんが認知症の妻に残した言葉を紹介している本、「あの世でも仲良う暮らそうや。104歳になる父がくれた人生のヒント」が販売されています。
老いること、生きること、愛する人と人生をともにすることを考えたくなる一冊です。