ノーベル平和賞受賞式に出席する胎内被爆者 平和への思いを若い世代に継承「自分ができる限りの事したい」
12/3(火) 18:05
来週、ノルウェーで開かれるノーベル平和賞の授賞式を前に、日本被団協の浜住治郎さんが東京で講演し、受賞への思いを語りました。
およそ50人を前に講演に臨んだのは、胎内被爆者で日本被団協の事務局次長を務める浜住治郎さん、78歳です。
【日本被団協事務局次長・浜住治郎さん(78)】
「10月11日を境として生活が一変しました。オスロに向けて世界から取材が入ったり、来年の予定がどんどん入ってくるという状況」
ことし10月。
核兵器の脅威が高まる中、「日本被団協」のノーベル平和賞受賞が決まりました。
”二度と誰にも同じ思いをさせたくない”と、被爆者が長年、続けてきた証言活動が評価されたのです。
【浜住治郎さん】
「父のことを思い父のことを忘れたことはなくてそのノーベル平和賞の受賞をまず父親に報告した」
79年前、浜住さんの母・ハルコさんは出勤したまま帰ってこない夫・正雄さんを探すため、原爆投下の翌日広島市の爆心地周辺に入り、被爆しました。
ハルコさんは当時妊娠3ヵ月。
お腹には浜住さんがいました。
【浜住治郎さん】
「(爆心地から)500メートルだからほとんど(の人が)亡くなっている。(父は)体だけだと(誰か)わからないから遺品でチェックした」
浜住さんは亡くなった父・正雄さんと同じ年齢の49歳の時、父親の死や家族の被爆体験を詳しく知りたいと思うようになり、兄や姉に尋ねたといいます。
【浜住治郎さん】
「父親がどんなことを考えていたのか。自分の将来をこうしたいというのがあったと思う。(父が)生きられなかった分、生きたいなと思った」
2003年に東京の稲城市で原爆被害者の会の結成に携わり本格的に活動を始めた浜住さん。
2015年には日本被団協に加入し、国内だけでなく海を渡り、海外でも核兵器の恐ろしさや廃絶を訴えてきました。
【浜住治郎さん】
「私は父親のことを忘れたことはありません。戦争は終わっていないと思えるからです。1万3000発の核兵器が残されているからです」
今回の講演会は核兵器廃絶を求めて活動を続ける若者も参加しました。
広島出身の高橋悠太さんです。
被爆者の高齢化が進む中、被爆体験の「継承」の大切さについて意見を交わしました。
【一般社団法人かたわら・高橋悠太代表理事】
「最近、被爆者の方々と話すと、被爆者は力がないから市民に支えてもらって一緒に運動したいと言われて。ここ2、3年でそういうことをおっしゃるようになったなと思う。私たちは何のために被爆者の証言を受け止めてつなぐ意義があるのかという大きな問いかけをもらっている」
【浜住治郎さん】
「本当に被爆者はだんだんと少なくなってきている。あと10年20年するとどういう世界になるんでしょうか。今80年間、核兵器を使わせなかった。これから80年どうするのか」
なぜ、ことし日本被団協がノーベル平和賞を受賞したのか。
浜住さんは私たち一人一人に考えてほしいと思っています。
【大学生】
「核兵器がいつ使われてもおかしくない状態が続く中で僕たち若者世代がひとりひとり、大きな力ではないが、まず1人自分がしっかり強い信念を持っていくことが大事だと感じました」
浜住さんは来週、オスロで開かれるノーベル平和賞の授賞式に出席します。
【浜住治郎さん】
「これから核のない世界に向けて自分ができる限りのことはしていきたい」
現地の高校で被爆証言もする予定で、ノルウェーから世界に向けて被爆の実相を伝えます。
<スタジオ>
【コメンテーター:広島大学大学院・匹田篤准教授】
「日本被団協にスポットライトが当たるということは、広島、長崎にスポットライトが当たるということです。そのような状況で、私たち、若い人たち一人ひとりが語り伝えるということ、日本の発信力がこれから期待されると思います」
およそ50人を前に講演に臨んだのは、胎内被爆者で日本被団協の事務局次長を務める浜住治郎さん、78歳です。
【日本被団協事務局次長・浜住治郎さん(78)】
「10月11日を境として生活が一変しました。オスロに向けて世界から取材が入ったり、来年の予定がどんどん入ってくるという状況」
ことし10月。
核兵器の脅威が高まる中、「日本被団協」のノーベル平和賞受賞が決まりました。
”二度と誰にも同じ思いをさせたくない”と、被爆者が長年、続けてきた証言活動が評価されたのです。
【浜住治郎さん】
「父のことを思い父のことを忘れたことはなくてそのノーベル平和賞の受賞をまず父親に報告した」
79年前、浜住さんの母・ハルコさんは出勤したまま帰ってこない夫・正雄さんを探すため、原爆投下の翌日広島市の爆心地周辺に入り、被爆しました。
ハルコさんは当時妊娠3ヵ月。
お腹には浜住さんがいました。
【浜住治郎さん】
「(爆心地から)500メートルだからほとんど(の人が)亡くなっている。(父は)体だけだと(誰か)わからないから遺品でチェックした」
浜住さんは亡くなった父・正雄さんと同じ年齢の49歳の時、父親の死や家族の被爆体験を詳しく知りたいと思うようになり、兄や姉に尋ねたといいます。
【浜住治郎さん】
「父親がどんなことを考えていたのか。自分の将来をこうしたいというのがあったと思う。(父が)生きられなかった分、生きたいなと思った」
2003年に東京の稲城市で原爆被害者の会の結成に携わり本格的に活動を始めた浜住さん。
2015年には日本被団協に加入し、国内だけでなく海を渡り、海外でも核兵器の恐ろしさや廃絶を訴えてきました。
【浜住治郎さん】
「私は父親のことを忘れたことはありません。戦争は終わっていないと思えるからです。1万3000発の核兵器が残されているからです」
今回の講演会は核兵器廃絶を求めて活動を続ける若者も参加しました。
広島出身の高橋悠太さんです。
被爆者の高齢化が進む中、被爆体験の「継承」の大切さについて意見を交わしました。
【一般社団法人かたわら・高橋悠太代表理事】
「最近、被爆者の方々と話すと、被爆者は力がないから市民に支えてもらって一緒に運動したいと言われて。ここ2、3年でそういうことをおっしゃるようになったなと思う。私たちは何のために被爆者の証言を受け止めてつなぐ意義があるのかという大きな問いかけをもらっている」
【浜住治郎さん】
「本当に被爆者はだんだんと少なくなってきている。あと10年20年するとどういう世界になるんでしょうか。今80年間、核兵器を使わせなかった。これから80年どうするのか」
なぜ、ことし日本被団協がノーベル平和賞を受賞したのか。
浜住さんは私たち一人一人に考えてほしいと思っています。
【大学生】
「核兵器がいつ使われてもおかしくない状態が続く中で僕たち若者世代がひとりひとり、大きな力ではないが、まず1人自分がしっかり強い信念を持っていくことが大事だと感じました」
浜住さんは来週、オスロで開かれるノーベル平和賞の授賞式に出席します。
【浜住治郎さん】
「これから核のない世界に向けて自分ができる限りのことはしていきたい」
現地の高校で被爆証言もする予定で、ノルウェーから世界に向けて被爆の実相を伝えます。
<スタジオ>
【コメンテーター:広島大学大学院・匹田篤准教授】
「日本被団協にスポットライトが当たるということは、広島、長崎にスポットライトが当たるということです。そのような状況で、私たち、若い人たち一人ひとりが語り伝えるということ、日本の発信力がこれから期待されると思います」