日本被団協 箕牧智之さんの5日間 病を押してノーベル平和賞授賞式に参加 世界に、若い世代に思い伝える
12/13(金) 17:39
帰国した日本被団協・代表団のひとり箕牧智之さんの、現地での活動を取材しました。
8日、総勢およそ30人の被爆者とともにオスロに降り立った箕牧智之さん。
広島の被爆者で日本被団協の代表委員を務めています。
入国直後、緊張した面持ちで記者団の取材に応じました。
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「オスロに来ることができて大変光栄に思う。戦争・核兵器は大嫌い、平和が一番」
オスロの街は歓迎ムードに包まれていました。
当時3歳だった箕牧さんは帰ってこない父親を捜して原爆投下翌日に広島市に入り、被爆しました。
長年広島県被団協の理事長を務め核兵器廃絶の運動をリードしてきた坪井直さんとともに国内外で活動をしてきた箕牧さん。
【故・坪井直さん】
「あきらめたらいかん、ネバーギブアップ」
坪井さんの死後は、その教えを胸に4代目の理事長としても後を引き継ぎました。
今年10月。
長年の活動が評価され、日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まりました。
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「感激のあまり涙をこぼしたり色々私の心の中は錯綜しています」
日本中が喜びにつつまれる中…箕牧さんの姿は病院にありました。
【医師】
「これは心不全という状態。82歳の方が飛行機に乗るのは、医者の理屈で言ったら『大丈夫ですか』と言われたら大丈夫ではない」
箕牧さんは2年前から持病の心不全を患っていますが、受賞決定後、緊張やストレスなどで症状が悪化していました。
しかし…
【日本被団協・箕牧智之代表委員】「行きたいんですよ」
病をおして授賞式に臨みたい…強い思いで2週間あまり入院し体調を整えました。
万全ではない状態で向かったノルウェー。
授賞式前日のリハーサルには車イスに乗る箕牧さんの姿が…疲労がたまり、体が思うように動かない状態になっていました。
迎えた授賞式本番…厳かな雰囲気の中、箕牧さんを含む代表委員3人が入場しました。
そして、病をおしてやっとの思いでたどり着いたこの瞬間。
すべての被爆者の代表として壇上にたった箕牧さんの目からは涙があふれました。
そして箕牧さんとともに授賞式に参加した田中熙巳さんが世界に訴えます。
【日本被団協・田中熙巳代表委員】
「原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には、直接の被爆体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれない。これからは、私たちがやってきた運動を次の世代のみなさんが工夫して築いていくことを期待しています」
スピーチが終わると会場は拍手に包まれました。
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
Q:今のお気持ちは?
「大役が終わってほっとしている。これからも私たちは老体にムチを打って頑張る」
「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ」
授賞式後、核廃絶の願いをこめたいまつを掲げ市内を練り歩く市民たち。
箕牧さんら代表委員3人がバルコニーから手を振ると、拍手や歓声があがりました。
箕牧さんたちは授賞式の翌日も、休む暇もなく、精力的に行事をこなします。
特に被爆者の思いを受け継ぐ次の世代との交流の時間も大切にしました。
【参加した子供】
「箕牧さん、私たちはこれから核兵器廃絶のためにどのようなことをすべきでしょうか?」
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「平和公園には皆さんのような小さな子供が原爆で亡くなった写真がいっぱいある。
皆さん、一度広島に来ていただきたいと思います」
滞在した5日間、核兵器の恐ろしさと廃絶を訴え続けた被爆者たち…
【日本被団協・田中熙巳代表委員】
「私は特に高齢だから続くかなというのが正直ありましたが、むしろ終わって元気になったくらいです」
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「あっという間の3日間だった。特に核保有国、アメリカやロシアが今回の日本被団協のノーベル平和賞をどういうふうに受け止めてくれたか。主義主張が違っても核兵器の問題だけは共通してなくす方向へいってほしい。核兵器を減らすのは困難な道かもしれないが、ネバーギブアップで訴え続けていかなければならない」
世界で核兵器の脅威が高まる中、来年、被爆80年を迎えます。
平和への思いを次の世代に託すため、箕牧さんはこれからも被爆の実相を訴え続けます。
《スタジオ》
今回の授賞で終わりにしたらいけませんね。
【コメンテーター:叡啓大学・早田吉伸教授】
「今回は大きなメッセージになったと思いますが、来年の被爆80年に向けて新しい平和の構築に向けて我々がどのように参画していけるのかが大きな課題になる」
8日、総勢およそ30人の被爆者とともにオスロに降り立った箕牧智之さん。
広島の被爆者で日本被団協の代表委員を務めています。
入国直後、緊張した面持ちで記者団の取材に応じました。
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「オスロに来ることができて大変光栄に思う。戦争・核兵器は大嫌い、平和が一番」
オスロの街は歓迎ムードに包まれていました。
当時3歳だった箕牧さんは帰ってこない父親を捜して原爆投下翌日に広島市に入り、被爆しました。
長年広島県被団協の理事長を務め核兵器廃絶の運動をリードしてきた坪井直さんとともに国内外で活動をしてきた箕牧さん。
【故・坪井直さん】
「あきらめたらいかん、ネバーギブアップ」
坪井さんの死後は、その教えを胸に4代目の理事長としても後を引き継ぎました。
今年10月。
長年の活動が評価され、日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まりました。
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「感激のあまり涙をこぼしたり色々私の心の中は錯綜しています」
日本中が喜びにつつまれる中…箕牧さんの姿は病院にありました。
【医師】
「これは心不全という状態。82歳の方が飛行機に乗るのは、医者の理屈で言ったら『大丈夫ですか』と言われたら大丈夫ではない」
箕牧さんは2年前から持病の心不全を患っていますが、受賞決定後、緊張やストレスなどで症状が悪化していました。
しかし…
【日本被団協・箕牧智之代表委員】「行きたいんですよ」
病をおして授賞式に臨みたい…強い思いで2週間あまり入院し体調を整えました。
万全ではない状態で向かったノルウェー。
授賞式前日のリハーサルには車イスに乗る箕牧さんの姿が…疲労がたまり、体が思うように動かない状態になっていました。
迎えた授賞式本番…厳かな雰囲気の中、箕牧さんを含む代表委員3人が入場しました。
そして、病をおしてやっとの思いでたどり着いたこの瞬間。
すべての被爆者の代表として壇上にたった箕牧さんの目からは涙があふれました。
そして箕牧さんとともに授賞式に参加した田中熙巳さんが世界に訴えます。
【日本被団協・田中熙巳代表委員】
「原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には、直接の被爆体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれない。これからは、私たちがやってきた運動を次の世代のみなさんが工夫して築いていくことを期待しています」
スピーチが終わると会場は拍手に包まれました。
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
Q:今のお気持ちは?
「大役が終わってほっとしている。これからも私たちは老体にムチを打って頑張る」
「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ」
授賞式後、核廃絶の願いをこめたいまつを掲げ市内を練り歩く市民たち。
箕牧さんら代表委員3人がバルコニーから手を振ると、拍手や歓声があがりました。
箕牧さんたちは授賞式の翌日も、休む暇もなく、精力的に行事をこなします。
特に被爆者の思いを受け継ぐ次の世代との交流の時間も大切にしました。
【参加した子供】
「箕牧さん、私たちはこれから核兵器廃絶のためにどのようなことをすべきでしょうか?」
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「平和公園には皆さんのような小さな子供が原爆で亡くなった写真がいっぱいある。
皆さん、一度広島に来ていただきたいと思います」
滞在した5日間、核兵器の恐ろしさと廃絶を訴え続けた被爆者たち…
【日本被団協・田中熙巳代表委員】
「私は特に高齢だから続くかなというのが正直ありましたが、むしろ終わって元気になったくらいです」
【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「あっという間の3日間だった。特に核保有国、アメリカやロシアが今回の日本被団協のノーベル平和賞をどういうふうに受け止めてくれたか。主義主張が違っても核兵器の問題だけは共通してなくす方向へいってほしい。核兵器を減らすのは困難な道かもしれないが、ネバーギブアップで訴え続けていかなければならない」
世界で核兵器の脅威が高まる中、来年、被爆80年を迎えます。
平和への思いを次の世代に託すため、箕牧さんはこれからも被爆の実相を訴え続けます。
《スタジオ》
今回の授賞で終わりにしたらいけませんね。
【コメンテーター:叡啓大学・早田吉伸教授】
「今回は大きなメッセージになったと思いますが、来年の被爆80年に向けて新しい平和の構築に向けて我々がどのように参画していけるのかが大きな課題になる」