バスツアーで被爆体験を継承 被爆者 切明千枝子さんと巡る つたえる つなげるヒロシマ・ナガサキ

1/20(月) 20:30

TSS被爆80年プロジェクト「つたえる・つなげる」です。
今回はこの週末に行われたあるバスツアーで行われた被爆体験の継承を取材しました。

1月18日の広島市内。
県内外から参加者がやってきました。

【参加者】
「岡山県からです」
「被爆2世ということでヒロシマのことをもっと知りたい」
「北広島町。なかなか聞く機会も少なくなってきているんで」

参加者の目当ては被爆者切明千枝子(きりあけ ちえこ)さんの話を聞くことです。
切明さんは、15歳のとき爆心地から1.9キロの広島市南区の比治山で被爆しました。
95歳になる今も記憶を語り続けています。
その切明さんとゆかりの地を巡ろうというイベントです。
企画したのは、大学院生の佐藤優(さとう ゆう)さん。
佐藤さんは、去年、切明さんが書き溜めた500首の短歌を本にまとめ出版しました。

【一橋大学大学院1年・佐藤優さん】
「出版するだけで終わりじゃなくて歌集からまた広がりを持たせられないかなというので、歌に出てくる現場をみんなと一緒に切明さんのお話をうかがいながら受け取れたらいいなというので企画しました」

31文字の短歌に込めた想いや背景を深く知りたいと集まったメンバー。
一方、伝える切明さんにも思いがありました。
切明さんはこんな一首をしたためています。
『一代限りの語部われは老いてゆき広島の悲惨は忘れられゆく』

【被爆者・切明千枝子さん(95)】
「1人でも二人でもつないでくださる方がいて伝えてくださる方がいて、あのとき亡くなった人たちを悼んでくださる方があることを私は信じたい」

この日訪れたのは、切明さんが特別な想いをもつ場所ばかりです。

【被爆者・切明千枝子さん】
「食堂もある、売店もある、幼稚園もある、保育園もある」

軍服などが作られていた旧陸軍被服支廠。
切明さんはこのそばで育ちました。
被爆後はここで多くの人を救護し、この世の地獄を目の当たりにしました。
『長い長い戦争をじっと見てきた倉庫伝えてよ戦争の無残を理不尽を』

【皆実小学校外観】
一行は、切明さんの母校も訪れました。

【切明千枝子さん】
「うわぁ、なつかしい」

そこにあったのは原爆に耐え、戦後切明さんと同じく80年を生き延びたシダレヤナギでした。

「これ、まだ生きていたんだ」

その前で、切明さんは語りかけました。

【被爆者・切明千枝子さん】
「あっちでもこっちでも山のように遺体を積んで。まるでキャンプファイヤーのときのように油をかけて火をつけてやく、むごいことでございますよ。今もどこかで戦争があって人が人を殺しあっている。一人一人の力は弱くても大勢の力を合わせれば大きな力になる。みんなの力を合わせて2度と戦争に巻き込まれないようにってね、心の底から思ってる」

【参加者は】
「原爆は2度と起こっちゃいけんよなという話をきょう語り継いでいこうと。きょう改めて切明さんの話を聞いて思いました」
「私自身も被爆2世で、私自身の体験も含めて合わせて新たに発信していきたいと思っています」

【一橋大学大学院修士課程・佐藤優さん】
「ちゃんと切明さんの想いを受け止めてつなげる1人になりたいと改めて思いました。被爆者の方がいなくなる時代は近づいてくると思うが、変わらず被爆者の方の想いを聞いてつなぐというそういう思いは強く持ち続けながら動いていきたいなと思っています」

『八月六日家を出たまま帰らざる人数多いる街それがヒロシマ』

その記憶をつなぎ、平和をつないでほしい。
95歳の被爆者の願いです。