”お父さんに戦死してほしいか” 「戦艦大和」沈没から80年 遺族が初めて語る「父との最後の夕食」

4/7(月) 19:01

「戦艦大和」がアメリカ軍の攻撃を受け沈没してからきょうで80年を迎え、呉市にある慰霊碑の前で追悼式が行われました。

「戦艦大和」がアメリカ軍の攻撃により、鹿児島県沖で沈没してから7日で80年。生きて帰ることが許されない「特攻」で出撃し戦死した3056人の乗組員を悼み、追悼式が行われました。

【乗組員だった父を亡くした遺族】
「(80年という月日は)感慨深いです。もう悲しいです」

【藤本黎時さん】
「私にとってはあっという間に80年経ったような印象」

乗組員だった父・弥作さん(当時44歳)を亡くした藤本黎時さん(93)。

藤本さんは6日、呉市内で講演会を開き、大和の出撃前最後となった夕食で交わした弥作さんとの会話を初めて語りました。

【藤本黎時さん】
「(父・弥作さんは)私をからかいながら食事をする明るい人でしたけど、杯を傾けていた父が急に真顔になって、私に向かって”黎時、お父さんにそろそろ戦死してほしいと思っているんじゃないか”と聞いてきたわけです。戦死しないでくださいとか、戦死するのは嫌だよとかは言わないでじっと凍りついて返事せず、黙り込んでいた」

その日の夜、弥作さんは大和へ戻り、家族の元に帰ってくることは二度とありませんでした。

【藤本黎時さん】
「”お父さんは長い航海に出ていると思いましょうね”と言って母は涙を見せなかった」

戦後、大学の教授や学長を務めた藤本さんは、原爆の被害を学ぶ講座を開くなどして、平和の大切さを訴え続けてきました。

【藤本黎時さん】
「我々は地道な平和活動、草の根の平和活動を続けていく。戦争体験者として何らかの努力をしていかなければならない」

戦後80年を迎え、最後の出撃で生き残った「大和」の乗組員もほとんどが亡くなりました。
”同じような過ちを繰り返さないために”決して風化させてはならない記憶があります。