被爆者 新井俊一郎さん「悲劇の中学1年生 忘れないで下さい」つたえるつなげるヒロシマ・ナガサキ#15
4/24(木) 17:47
「つたえる つなげる ヒロシマ・ナガサキ」
被爆者の新井俊一郎さん。93歳。
中学1年生のときに入市被爆した。
6度のがんを患い腎臓がんステージ4だが満身創痍で伝え続けている。
新井さんは原爆の落ちた1945年から日記を付け始めていた。
【新井俊一郎さん】
「これが8月6日」
当時の記録と記憶が鮮明に残っている。
当時中学1年生で農村動員挺身隊として賀茂郡原村(現在の東広島市)にいた。
【新井俊一郎さん】
「大事な食料を米一粒でもいい芋一個でもいいからたくさん作ろうと思って農村にお手伝いに行った」
8月6日に新井さんは5人の仲間と伝令で広島市内へ戻る任務を命じられる。
【新井俊一郎さん】
「当時8月6日に何かが起こる、原爆なんて誰も予想だにしていない。うれしいでいっぱいですよね。まだ暗いうちに近くにある八本松の駅に向かって列車に乗って帰るってことですよね。上りホームから下りホームに渡る。さあ渡ろうかと思った瞬間が8時15分」
被爆者の新井俊一郎さん。93歳。
中学1年生のときに入市被爆した。
6度のがんを患い腎臓がんステージ4だが満身創痍で伝え続けている。
新井さんは原爆の落ちた1945年から日記を付け始めていた。
【新井俊一郎さん】
「これが8月6日」
当時の記録と記憶が鮮明に残っている。
当時中学1年生で農村動員挺身隊として賀茂郡原村(現在の東広島市)にいた。
【新井俊一郎さん】
「大事な食料を米一粒でもいい芋一個でもいいからたくさん作ろうと思って農村にお手伝いに行った」
8月6日に新井さんは5人の仲間と伝令で広島市内へ戻る任務を命じられる。
【新井俊一郎さん】
「当時8月6日に何かが起こる、原爆なんて誰も予想だにしていない。うれしいでいっぱいですよね。まだ暗いうちに近くにある八本松の駅に向かって列車に乗って帰るってことですよね。上りホームから下りホームに渡る。さあ渡ろうかと思った瞬間が8時15分」
『1945年8月6日午前8時15分』
【新井俊一郎さん】
「パーッと広島の空が燃えた。全体が輝いて目が眩んだ。目が眩んで見えなくなったはずなのにちゃんと空がバーっとピンクから紫に燃えているのが見えた。燃える波紋ががーっと広がりながら頭の上に来たと思ったらずしんと全身ぶったたかれた」
列車が止まったので降車し歩いて広島市内へと向かうことに…
『日記:瀬野にて直ちに途中下車、そこより徒歩にて廣島に向ふ』
【新井俊一郎さん】
「ぐっと向こうから何百、何千というお化けとしか思えなかった。赤裸の群れがぐっと沸いて出てきて囲まれました。幽霊と鬼を考えて「幽鬼の群れ」と私は言っているんだけど、地獄の鬼のような何百、何千人の群れに逆らって我々広島に行こうというわけですね」
たどり着いた広島市内、そこで新井さんが見たものは…
顔が風船のように膨れ上がる幼い姉妹が通り過ぎるのを見た。
【新井俊一郎さん】
「この場面が一番原爆のむごさ悲惨さ、人がやることじゃないという非道さ非人道さを全部あらわしている場面です。一生忘れることはないと思いますね」
8月6日と7日に爆心地付近を歩きまわり新井さんは入市被爆者となる。
【新井俊一郎さん】
「何も知らないまま広島に入って普通の人が受ける1年間の放射線量の600年分をいっぺんに受けていたわけだ。ただでは済まないはずだよね」
《被爆証言をする新井俊一郎さん》
「私は現在6回のがんを患っております。腎臓です」
原爆の影響で様々ながんと戦いながらも被爆証言し続けている。
【新井俊一郎さん】
「パーッと広島の空が燃えた。全体が輝いて目が眩んだ。目が眩んで見えなくなったはずなのにちゃんと空がバーっとピンクから紫に燃えているのが見えた。燃える波紋ががーっと広がりながら頭の上に来たと思ったらずしんと全身ぶったたかれた」
列車が止まったので降車し歩いて広島市内へと向かうことに…
『日記:瀬野にて直ちに途中下車、そこより徒歩にて廣島に向ふ』
【新井俊一郎さん】
「ぐっと向こうから何百、何千というお化けとしか思えなかった。赤裸の群れがぐっと沸いて出てきて囲まれました。幽霊と鬼を考えて「幽鬼の群れ」と私は言っているんだけど、地獄の鬼のような何百、何千人の群れに逆らって我々広島に行こうというわけですね」
たどり着いた広島市内、そこで新井さんが見たものは…
顔が風船のように膨れ上がる幼い姉妹が通り過ぎるのを見た。
【新井俊一郎さん】
「この場面が一番原爆のむごさ悲惨さ、人がやることじゃないという非道さ非人道さを全部あらわしている場面です。一生忘れることはないと思いますね」
8月6日と7日に爆心地付近を歩きまわり新井さんは入市被爆者となる。
【新井俊一郎さん】
「何も知らないまま広島に入って普通の人が受ける1年間の放射線量の600年分をいっぺんに受けていたわけだ。ただでは済まないはずだよね」
《被爆証言をする新井俊一郎さん》
「私は現在6回のがんを患っております。腎臓です」
原爆の影響で様々ながんと戦いながらも被爆証言し続けている。
新井さんが手形のハトに込めて次世代に伝えたい思いとは?
【新井俊一郎さん】
「これが私のメッセージ、『悲劇の中学1年生』。原爆のときに広島中の中学一年生が全滅しています。被爆して。その人数6300人」
新井さんと同い年の広島市内の中学1年生のほとんどは学徒動員でほとんどが死亡した。
中学1年生は、当時爆心地近くで建物疎開作業を行っていた。
遺体の区別もつかないほどだった。
【新井俊一郎さん】
「このことを絶対に忘れてもらいたくない。幼い子供であろうとなんであろうと殲滅(皆殺し)してしまうものが原爆ということのむごさです。この記憶だけは永遠に伝え残していただきたい。願っております」
【新井俊一郎さん】
「これが私のメッセージ、『悲劇の中学1年生』。原爆のときに広島中の中学一年生が全滅しています。被爆して。その人数6300人」
新井さんと同い年の広島市内の中学1年生のほとんどは学徒動員でほとんどが死亡した。
中学1年生は、当時爆心地近くで建物疎開作業を行っていた。
遺体の区別もつかないほどだった。
【新井俊一郎さん】
「このことを絶対に忘れてもらいたくない。幼い子供であろうとなんであろうと殲滅(皆殺し)してしまうものが原爆ということのむごさです。この記憶だけは永遠に伝え残していただきたい。願っております」