ここからっ!TSS

8月6日(金) 午前9時50分~10時45分

《再放送》 8月7日(土)午前3時30分~4時25分

【ナレーション】小林克也

【朗読】吉永小百合

上栗頼登さん

原爆により一瞬にして焦土となった広島。その廃墟の中で終戦からわずか2カ月後、26歳の青年・上栗頼登(かみくり よりと)が孤児収容所「広島新生学園」を自費で開設した。施設は原爆孤児や戦災孤児、引き揚げ孤児…戦争で身寄りをなくした子どもたちでいっぱいになった。原動力は自身の被爆体験だった。1945年8月6日。力尽きて倒れた人たちのうめき声、息絶えた母親にしがみついて泣き叫ぶ赤ん坊。上栗は苦しむ人を目の前に何もできなかった後悔の念を生涯にわたって抱き続けることになる。

広島新生学園で育った引き揚げ孤児の白石春雄さん(86)が、これまで語ってこなかった自身の生い立ちを教えてくれた。戦時中、日本統治下の台湾で白石さんの両親は4人の子を残してマラリアに倒れた。縁もゆかりもない焼け野原の広島へ兄弟で引き揚げてきて港で立ち尽くしていたところに声をかけてくれたのが上栗だった。誰もがその日暮らすのに困っていた終戦直後。施設の環境は決して良いものとは言えず、苦難の連続だった。

かつて焦土にあった施設の知られざる歴史を辿るとともに、多くの子どもたちが戦争に翻弄されたこと、そして現在につながる平和への願いを伝える。

  • 白石春雄さん
  • 子供たちと上栗頼登さん

【深井小百合ディレクター(テレビ新広島報道部)コメント】

広島新生学園には原爆慰霊碑、被爆した石、納骨堂など戦争に関するものが多く残されていることを知りました。取材をすすめるうちに驚いたのは、戦後、孤児がどうやって生きてきたのかを残したものが非常に少なかったことです。自分が生きるだけで精一杯だったはずのこの時代に、なぜ上栗さんは子どもたちに手を差し伸べたのでしょうか。争いで傷つくのも、傷つけるのも、そして手を差し伸べることが出来るのも同じ「人間」なのだと改めて気付かされました。原爆の廃墟から立ち上がるために尽力した、知られざる1人の市民の思いと苦難。それを「いま伝えなければこのまま埋もれてしまう歴史」だと感じ、残された数少ない資料を手掛かりに番組を制作しました。

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