被爆地にあるテレビ新広島(TSS)が取材した被爆証言などを若い世代の人たちと共に英訳し、世界へ向けて発信していくTSSアーカイブプロジェクトの関連企画「次世代継承プロジェクト」。2024年1月からアメリカにあるアイダホ大学が、この企画を大学の日本語プログラムの公式教材として採用し、このたび20名の学生が英訳に取り組んだ2作品が完成しました。これらの作品は、TSSアーカイブプロジェクト公式サイトで、8月1日から世界に向けて配信します。
【生徒たちの感想】
アリーサ・ダイヤ
「原爆市長 (前編)」の英訳を担当したグループ代表
このプロジェクトを始める前、私は浜井信三さんの名前は聞いたことがありましたが、あまり知りませんでした。翻訳作業を通じて浜井さんのことを知った今、彼のことをとても尊敬しています。原爆投下後の悲惨な状況から前に進んでいく道は困難だったに違いありません。復興のプロジェクトを始め、平和祭を開催するまで想像を絶する努力が必要だったと思います。原爆がどのように広島を破壊したか、被爆により酷いけがを負った人たちの話を正確に訳すことは、私にとって非常に重要でした。
被爆者の証言は、核兵器は人類にとって危害でしかないという証拠です。浜井さんは、どのように平和に向けて協力できるか、またどのように壊滅的な状況から復興していけるかを、私たちに教えてくれました。
タイラー・ネーラー
「原爆市長 (後編)」の英訳を担当したグループ代表
この翻訳プロジェクトに取り組み、原爆投下後の広島、また広島市民や日本中の人々が原爆投下後どのように対応したかについて、より個人的な視点を得ることができました。
原爆の恐ろしさを知った上で、現在世界中で起きている紛争について考えると、今こそ戦争が制御不能に陥るとどんな恐ろしいことが起こりうるかを思い出さなければいけないと思います。
被爆者の苦悩や広島がどのように再建へ向かったかという証言を伝えていくことは、人類が二度と同じことを起こさないために重要なことです。
カイ・オメス
「核なき世界へ」の英訳を担当したグループ代表
今回この番組の翻訳を手伝うことができて光栄でした。日本語の語学力を向上させるきっかけとなっただけでなく、平和のメッセージと広島の視点を世界へ発信していく意義深い経験となりました。人々の経験を絵画として後世に残していくこと、世界中の人たちと協力し分かり合い連帯していくことの重要性を改めて認識しました。明るい未来のために、どんなに不快で恐ろしくても、私たちがこの歴史を忘れないでいることは重要だと思います。
【アイダホ大学】
1889年創立。米国アイダホ州北西部に位置する州立の研究型総合大学。州内トップの研究機関として地元の雇用や経済に大きく貢献している。多様な視点、革新的で創造的な考え方を育くむことに重点を置き、学部生および大学院生を対象に200以上の専攻科目を提供している。モスコー市のメインキャンパスの他、州内各地にキャンパスと研究施設を備えている。
【浜井順三氏(はまい じゅんそう)】
広島は国を超えて、人類・世界次元の絶対平和を希求する都市です。過ちを繰り返さないための道は、国家主義の平和ではなく、世界・人類次元の世界平和の創造だと思います。というのも、国の首脳を介して、広島の平和理念を世界化することには限界があります。どうしても核抑止論になり、核抑止をしながら現実に減らしていく手法を狙うと言いながらも、減るどころか増えているのが現実で、核兵器で威嚇する国まで出てきています。
残された唯一の道は、国の壁を越えて、直接世界市民に、ヒロシマの平和理念を訴えて広めていき、世界世論を築いていくことです。真の平和理念は、第一回の平和宣言(1947年)に込められていると思います。原爆から生き残った人の思い、願い、使命、志、すべてがここに凝縮されています。これをしっかり解析してみることが、大事なのではないでしょうか。
真の平和の意味が多様化していく中で、一市民の立場で、私もそれと、今、向き合っています。ここには、生き残った人たちが、立ち上がり、世界に発した本当に純粋な思いの言葉が詰まっていて、まさに平和理念の原点です。
「核兵器のない、戦争のない世界平和の創造を希求し、世界化を目指す象徴都市ヒロシマ」
その原点に立ち返ることが大切なのではないでしょうか。そういう点で、現状の活動はまだ十分ではありません。世界化の阻害要因は大きく分けて「核兵器は人類と共存できるものではないことの意識革命が世界に広まらないこと」及び「国や国の首脳を介しての活動は、国の壁を超えて広がることに限界があること」があります。特に国を超えての方法では手詰まり状態といえます。然らばこの他の方法はあるのか。
今の世界を見ていて現実に考えられる方法は、「国の壁を越えて、直接、世界市民に訴え、拡げ、世界世論を形成していくこと」だと思います。この観点で、アイダホ大学の学生の皆さんの取り組みは、国を超えた最先端の動きです。人類を救う道である「核のない、戦争のない世界平和の理想の実現」のために、是非これからも頑張って邁進して下さい。
平和宣言
本日、歴史的な原子爆弾投下2周年の記念日を迎え、われら広島市民は、いまこの広場に於て厳粛に平和祭の式典をあげ、われら市民の熱烈なる平和愛好の信念をひれきし、もって平和確立への決意を新たにしようと思う。
昭和20年8月6日は広島市民にとりまことに忘れることのできない日であった。この朝投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして潰滅に帰し、十数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。しかしながらこれが戦争の継続を断念させ、不幸な戦を終結に導く原因となったことは不幸中の幸いであった。この意味に於て8月6日は世界平和を招来せしめる機縁を作ったものとして世界人類に記憶されなければならない。われらがこの日を記念して無限の苦悩を抱きつつ厳粛な平和祭を執行しようとするのはこのためである。けだし戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから。
又この恐るべき兵器は恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた。すなわちこれによって原子力をもって争う世界戦争は人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を世界の人々に明白に認識せしめたからである。これこそ絶対平和の創造であり、新らしい人生と世界の誕生を物語るものでなくてはならない。われわれは、何か大事にあった場合深い反省と熟慮を加えることによって、ここから新らしい真理と道を発見し、新しい生活を営むことを知っている。しかりとすれば今われわれが為すべきことは全身全霊をあげて平和への道を邁進し、もって新らしい文明へのさきがけとなることでなければならない。
この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。
永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう。
ここに平和の塔の下、われらはかくの如く平和を宣言する。
1947年(昭和22年)8月6日
広島平和祭協会長・広島市長 浜井 信三
出典:「平和宣言【昭和22年(1947年)】」(広島市公式ホームページ)より