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絵本「マイヒロシマ」、故郷で再出版
世界の子ども達の平和教材として使われている絵本「マイヒロシマ」が、作者である森本順子さんの故郷広島で再出版されました。この本を接点にした森本さんとのエピソードを、テレビ新広島(元・シドニー支局長)笠間雅一さんから聞きました。
私が森本さんのことを知ったのは1992年…TSSシドニー支局を開設し取材活動をしていた時だ。「オーストラリアでは平和教育が熱心で、そのきっかけは広島原爆の日である」ことを聞き、ある小学校へ取材を申し込みました。訪れた小学2年の教室で、先生が子ども達へ読み聞かせしていたのが「マイヒロシマ」だった。
その後、森本さん本人を取材した。森本さんは地元の小学校から依頼があれば積極的に出向き自らの被爆体験を語った。授業の最後にはこのような言葉で締めくくった。「私は、被爆した経験を後世へ伝える義務があるんです。皆さんには戦争する大人になってほしくないからです。命の大切さをわかる大人になって、それを次の世代へ伝えてください。お願いしますね」…と。その当時は、まだ通訳を介していたと記憶しているが、数年後に放送された森本さんを取り上げたドキュメンタリー番組では、”ひとりで教壇に立ち、英語で堂々と語っておられた”。私は「森本さんのメッセージは、子ども達に一層強く届いている」と確信した。
私は今、被爆体験記の朗読ボランティアに携わっているが、それは森本さんとの出会いがきっかけだった。2009年に夢のようなコラボが実現…森本さんがステージ中央で被爆直後の絵を即興で描く”ライブペインティング”を、私がその横で「マイヒロシマ」を朗読する機会をいただいた。
当時77歳の森本さんは墨汁の染みた太くて重い筆を手に、60数年前に目の前で起きた出来事を満身の力を込めて描いた。私はその迫力に圧倒され「被爆者の思いを継承するのは並大抵のことではない」と、平和への思いの大きさの違いを見せつけられたように感じた。
森本さんは「年齢的にこれが最後かもね…」と仰ったが、まだまだ伝えていただかなくてはならない世界情勢にある。私も、被爆体験を継承していく一員として、森本さんの次回の帰郷を心待ちにしているひとりである。