子育てアドバイス

【よくある相談シリーズ】うちの子、偏食が激しくお菓子やカップ麺が大好きなんです…。

お菓子やカップ麺などの加工品はいくらでも食べるのに、毎日のご飯は好き嫌いや偏食で残されてしまう…。子どものために栄養バランスを考え、日々の食事を作っているママやパパにとって、子どもの偏食は大きな悩みです。そこで今回は、長年、栄養教諭として児童と向き合い、現在は広島国際大学の非常勤講師を務める大須賀先生に、子どもの偏食との向き合い方や親御さんへのアドバイスなどを伺いました。
偏食の原因は子どものわがままではない
子どもが偏食になる理由はいくつかありますが、大きく関与するのは、食べ物との最初の出会いです。幼い子どもの味覚や嗅覚は大人よりも敏感です。そんな時期に、「苦い」「臭い」と認識した食べ物を脳がしっかりと覚えており、ある程度心身が発達してからもその記憶を維持したまま、特定の食べ物を受け付けない子がいます。
また、大きなトラウマが偏食を引き起こす場合もあります。かつて鶏肉を全く食べられない子に出会いました。聞くと「小さい頃に鳥をしめる場面を間近に見てしまった」とのこと。まだ発達途中にあったその子にとって、相当ショックな出来事だったのでしょう。これは極端な例ですが、ある経験から特定の食べ物を拒否する子もいます。

つまり、偏食の原因は千差万別。親の調理や努力だけが全てではないのです。
快楽物質が作用するお菓子やカップ麺
お菓子やカップ麺は、子どもにとって味も見た目も魅力的です。しかし、それらを構成する成分のほとんどは、砂糖と油と塩。摂りすぎると、肥満だけでなく栄養バランスの乱れや虫歯の増加にも影響します。さらに、この3つはS(シュガー)O(オイル)S(ソルト)の頭文字をとってSOSともいわれ、生活習慣病を引き起こす大きな要因ともされており、大人もとりすぎないよう注意するべきものです。
特にお菓子に含まれる砂糖は、甘みからの刺激で脳の中で麻薬に似た物質が放出されます。つまり、甘いものは人間をやみつきにさせるのです。 また、油は多くのお菓子に見えない形で含まれており、カップ麺にも麺を揚げる際に使われています。脂質の過剰な摂取は、健康被害を引き起こす可能性があります。加えてカップ麵には、塩が多く含まれています。その塩分量は1杯で約5〜6gといわれており、1日の塩分摂取推奨量8g未満を、1杯のカップ麺でほぼ占めることになります。
大人でも、無性にお菓子やカップ麺を食べたい衝動に駆られるときがありませんか?なぜなら、甘味、油味、塩味が強く効いた刺激的な味は、「もっと欲しい」という感覚を脳が引き出しているからです。
味覚は子供の時につくられるといわれます。子どもの時にこの麻薬に似た味を覚えてしまうと、野菜のおいしさや出汁のおいしさは受け付けなくなってしまいます。

しかし、お菓子やカップ麺が全て「悪」というのも間違いです。甘いものは生活を豊かにしますし、カップ麺類は非常時に大変役立ちます。毎日食べ続けなければ、体に悪くありません。ここはバランスがとても大事です。もしこれらを毎日子どもが食べている場合は、まず回数を減らしましょう。毎日ではなく、3日に1回、1週間に1回とだんだん減らしていきます。そして、食品棚や冷蔵庫に保管しないようにするのも有効です。もちろん、急にストップをかけてしまうと子どもにストレスがかかってしまいます。過度な甘味や塩味に慣れてしまった子どもにとって、すぐに解決できる問題ではありません。焦らず、気長に、食生活を変えていく環境を整えていきましょう。
量の見える化で好き嫌いや食べず嫌いを克服
食が細い、または好き嫌いが多いお子さんには「食事の量の見える化」が有効です。以前、給食で出す牛乳を全く飲まない高学年の男の子がいました。牛乳のアレルギーはなく、飲まず嫌いといった印象でした。そこで試したのが50mlごとに数字を記載した自作カップに牛乳を入れ、無理なく飲むのを即してみる方法です。最初は50mlから始め、彼が飲めると「すごいね!飲めたね!明日はどうする?」と本人に意思確認をしました。次は100mlに目標設置。同じく飲めた日には「すごいね。ここまで飲めたね!」と声かけをしました。もちろん無理強いはせず、「飲みたくない」と言った日には飲ますことはありません。しかし、その方法を2週間ほど続けていると、結果全量200mlを飲めてしまったのです。ただ「好き嫌いはダメよ」と怒るのではなく、食べる量を数字にして見える化してあげると、子どもは「飲めた!食べられた!」という達成感と喜びを得ます。この方法は牛乳だけでなく、生野菜などにも有効です。スケールで量を測り、今日は10g、次は30gと徐々に量を多くしながら子どもに食べさせてみましょう。具体的な数字が、子どもの「できた!」を後押ししてくれます。食べて、褒められて、成功体験で食事を終えるというプロセスがとても大切なのです。
おいしいだけではない楽しく食べる環境づくり
先述の男の子が牛乳嫌いを克服したのには、もうひとつ大きな理由があります。それは食環境です。担任の先生だけでなく、クラス全員が応援団となって彼を励ましたのです。食事というのは、ただお腹がいっぱいになればよい、または栄養を摂取すればいいというものではありません。彼を取り巻く温かい繋がりが作用し、学級内で頼ったり頼られたりする関係性が、好き嫌いの解消に近付いたのだと思います。
給食だけでなく、全ての食の悩みに通じる重要事項が「食べる環境」です。せっかく作ったものを子どもが食べてくれないとイライラするのは当然です。大きな声をあげたくもなるでしょう。しかしそこはグッと我慢してください。怒られながら食べるご飯ほど、おいしくないものはありません。大人でも、苦手な人と一緒の食事の場では、食本来のおいしさを感じないものです。ご自身が楽しく食べられたシーンや、「おいしい」と心から思えた時は、どんな瞬間だったかを思い出してみてください。きっとそこには、「楽しさ」がプラスされていたはずです。
親から進めるおいしく楽しい食卓づくり
家庭内での食事がスムーズにいかないことは、大変なストレスでしょう。裏を返せば、子育てをしっかり考えているからこそ「自分の調理に問題があるのでは?」「もっと料理上手であれば…」と自分を責めるのです。そんな責任感は、少しだけ脇においてください。

お菓子やカップ麺はほどほどに。自分とお子さんの心が壊れない範囲で、ほんの少し食生活改善の計画を立ててみてください。それに、ご自身の経験でも、子どもの時には食べられなかったものが大人になり食べられるようになったり、好きに変化したりしたものはあるのではないでしょうか。食べられる物を増やすことは大切ですが、今はあまり心配し過ぎず、子どもの成長を気長に待ってみましょう。

そして何より「おいしく楽しい食事」を意識してみてください。ひと昔前の「家族が集まってご飯を食べる」団欒の場は、子どもを取り巻く勉学環境や親の就労環境の変化で、現代において日々整えるのは難しいかもしれません。時間や精神的に余裕のある時で大丈夫です。親が楽しくごきげんよくおいしそうに食べている姿を見せることも食育に有効ですよ。
大須賀恭子 広島国際大学 健康科学部 医療栄養学科 非常勤講師
広島県呉市内の小学校 7 校に41年間、栄養教諭として勤務。教育現場で子どもたちの食育と学校給食に携わる。2010年から2016年まで、広島県学校栄養士協議会会長、(公社)全国学校栄養士協議会理事を兼務。2020年より大学にて栄養教諭の養成にあたっている。

【よくある相談シリーズ】うちの子、発達障害かもしれません。

今回のご相談「かもしれない」とのこと。「発達障害だ」と明確に言える状態ではなく、「どちらなんだろう」と考えているグレーの状況だと言えますね。もともと、「発達障害」の中でも特に「自閉スペクトラム症」は、明確な線引きが難しくスペクトラム(連続体)だと考えられている概念ですので、どう考えたら良いのか悩むところです。

今回は一般的な「発達障害」の基礎知識については他のHPに譲るとして、「発達障害」についておうちの人がどう捉え考えるかについてのヒントと、「発達障害かも」と感じた時、おうちでの対応のポイント、それでも心配な時にどう相談に行けば良いのか、これらの点についてお伝えしたいと思います。

「発達障害」について考える前に、子どもたちの成長や発達は個人差が大きく、個人内でも差があることをおさえておく必要があります。例えば、「他の子と比べてたくさん漢字を知っていて計算もできてお勉強は得意だけれど、相手からの比喩や皮肉の意図がさっぱりわからない」「一輪車や縄跳びは苦手だけれど、図工では驚くような素敵な作品を製作できる」「とても優しくて相手の気持ちをきちんと考えられるのに、自分がそれをしたらどんなことが起るのか見通しを立てることは苦手」など、私たちにも子どもたちにも、得意・不得意の凸凹は必ずあるのです。そして「発達障害」の子どもたちは、この凸凹の差がとても大きいのです。「苦手な事が多くできない子」ではなく、「苦手もあるけれど、すごい才能を持っている子どもたち」なのです。
●そもそも「障害」とは?
この「害」という漢字の印象からか、一般的にあまり良いイメージを持たれないように感じます。「自閉スペクトラム症」の症状がどんなに濃く出ていたとしても、本人も周囲も日々の生活で困ることがないのであれば診断は必要ありません。逆に、症状がどんなに薄くても、本人が毎日困っているのであれば、診断を受け、支援を組み立て、楽に生活できるように環境を整える必要があるのです。

例えば、Aちゃんはピアノが得意な女の子。でも学校の教室が苦手で、特に音楽の授業は決まって気分が悪くなり、いつも保健室に行っていました。医療機関を受診し聴覚刺激に敏感だとわかり、学校と連携してイヤーマフや耳栓を使い分けるように環境を整えたところ、教室で過ごせるようになっていきました。そして今では、耳の良さをいかして、PCを使って作曲も楽しんでいるのでした。「発達障害」の子どもたちは、「できないから支援がいる子」ではなく、「環境を整えれば、ぐんぐん力を発揮できる子どもたち」なのです。
●「発達障害かも?」と感じたら…。
では「発達障害かも」と感じた時、おうちの人はどう対応すれば良いのでしょうか?
ポイントは2つです。

①生活リズムを整える。
特に子どもたちにとって、睡眠時間はとても重要です。お子さんが小さければ尚更です。寝不足が続くと、子どもたちは「落ち着きがなくなり暴言が増える」「かんしゃくを起こす」「こだわりが強くなる」など「発達障害」とよく似た状態になることがあります。特にゲームやPC、インターネットが見れるテレビを購入する時には注意が必要です。普段の生活に電子機器を取り入れる際には、親子で使用時間などしっかり取り決めをしてからに。しかし、ルールを決めるだけでは子どもたちはなかなか守ることはできません。大切なのは、決めたルールを守れた時に、大人がちゃんと褒められるか。「ちゃんとルール守れて凄いじゃん」と具体的に褒めることで、子どもたちは電子機器と上手に付き合えるようになっていきます。

今の時点で既に睡眠のリズムが壊れている場合の対処方法について。早く寝る習慣の付いていない子どもたちに「早く寝なさい」の指示は難しく、怒られて余計に気が立って寝にくくなってしまいます。意識するのは起きる時間。お子さんと話し合いながら、朝起きる時間を少しづつ早くしていきましょう。ゲームを夜ではなく朝する時間を作るのも早起きのご褒美になり良いかもしれません。起きる時間が早くなれば、夜眠くなる時間も早くなっていきます。夜は、寝る時間の最低でも1時間前にはゲームや動画の視聴は控えて親子でゆったりと過ごしましょう。子どもたちと過ごす時間はおうちの人もスマホは眺めず、お子さんとの時間を楽しんで下さいね。

②怒る回数を減らす。
ここで「怒るのを我慢しましょう」と受け取らないように注意しましょう。なぜなら、「我慢」はリバウンドして後から大きくなって返って来てしまうからです。もともと「発達障害かも?」とおうちの人が悩まれている時は、怒る回数が増えて子育ての悪循環に陥っていることが多くあります。そして「発達障害」の中でもADHD傾向の子どもたちは、落ち着きがなく衝動的・不注意などの特徴から、怒られることが多くなってしまいます。子どもたちは怒られたら怒られただけどうなっていくのか。それはもっと落ち着きがなくなり、大人に反抗的になり、否定的な注目を引こうと悪いことをする子どもも出てきます。
これらの行動も「発達障害」の症状によく似ています。ではどうやって「怒る回数を減らす」のか。それは「好ましくない行動には目をつむり、好ましい行動を見つけて褒める」こと。

例えば、Bくんは身体の使い方が不器用で、ゆっくりした行動が苦手です。食器もガチャンと音を立てておくし、リモコンも放り投げていつも怒られるし、鉛筆の芯もどんどん折れてしまいます。学校でもおうちでも「乱暴に扱ってはダメ」「もっと優しくしなさい」と怒られていたBくんは、どうしたらそうできるのかが分からず、「いつも先生もお母さんも僕ばっかり怒る!」と腹が立ったり、「なんで僕ばっかり」と涙が出たり…。そんなある日、夕飯の後、食器を流しに持って来たBくん。ガチャンと音が立ちました。「あっ、また怒られる!」と思ったBくんにお母さんは「持って来てくれてありがとう」と声をかけてくれたのです。Bくんは驚きましたが、「明日はもう少し気をつけて置いてみるぞ」と思いました。それからお母さんは「そうだね。そのくらいの力で書くと丁度良いね」など具体的に褒めることを意識していきました。すると、Bくんの乱暴な行動が徐々に減っていったのでした。

以上2つのポイントで、①生活リズムを整えても、②怒る回数を減らしても、それでもお子さんの行動に変化はなく、気になる状況が続いていれば、相談に行ってみましょう。医療機関に行くのはハードルが高い、もしくはどこに行けば良いのか分からない場合には、学校に来るスクールカウンセラーや、市役所の保健師さんや発達相談の心理士さんに相談してみましょう。その時に小さい頃からのお子さんの状況についての聴き取りがあるので、母子手帳を持って行っておくと便利です。 

「発達障害」もしくは「発達障害かも」の子どもたちは、ダイヤの原石です。しっかり磨いて(環境を整える)いけば、キラキラと輝き出すのです。ただ、最初にも書いた通り、グレーの子どもたちの磨き方は分かりにくい。一度だけの相談ではなかなか状況が分かってもらえないこともあります。おうちの人が「この人なら安心して話せそうだ」と思える支援者さんに出会えるまで諦めず、お話しをしてみて下さいね。
土居和子 広島県教育委員会スクールカウンセラー
東広島市教育委員会スクールソーシャルワーカー
東広島市保育課保育ソーシャルワーカー
修道大学非常勤講師
ココロトモニ代表
ペアレントトレーニング、NPプログラム、BPプログラムなど保護者向け子育て講座
ティーチャーズトレーニング、事例検討会など保育士や教員向け研修会など

【よくある相談シリーズ】ワンオペ子育てがキツくても相談できる人がいません…。

●子育ては誰がやっても大変。誰かを頼って良いのです。
「ワンオペ子育てがキツくても、相談できる人がいません」とのお悩み、辛いですね。忙しくて大変な時に、誰かに話を聴いてもらいたい、誰かを頼りたいと思うのは自然なこと。そんなとき、安心して相談できる人がいると、それだけで心が安らぎますね。

まずお薦めしたい対処法は、ご自身の今の状況を見渡してみましょう。深呼吸して、自分が何に困っているのか、立ち止まって少し考えてみましょう。場合によっては、困っていることをノートに書き出してみるのも良いかもしれません。書き出してみると、頭の中が整理され、取り組むべきことの優先順位が見えたりして、少し気持ちがスッキリすることもあります。

さらにお伝えしたいのは、子育てと家事や仕事との両立は、誰もが苦悩していること、自分一人で抱え込んで解決できることではない、誰かを頼って良いということです。1人の子どもを育てあげることは、そもそも複数の大人が多くのエネルギーを注ぐことにより、初めて実現するものです。その上、子育てと家事や仕事の両立となると、益々多くのエネルギーが必要となるでしょう。職場での責任が発生している仕事に加えて、家事や子育てを両立していくことは、決して容易なことではありません。

相談者ご本人にとっては、周りの人は難なくやっていることだし、なぜ自分だけこんな思いを抱くのだろう、どうして自分はうまくいかないのだろうと情けない気持ちになったりすることもあると思います。しかし、実際には、子育てと仕事の両立を難なくこなすことができている人はいないように思います。もし仮に、「特に困っていません」と感じている人がいるならば、その人は、助けてくれる近親者や地域の人に恵まれていることが考えられます。

親は子どもが誕生したら立派な親になれるかというと、そうでもありません。生物学的には親ですが、すぐに成熟した養育行動が備わるわけではなく、親自身も日々の子育てのなかでゆっくりじっくり、親性が育まれていくのです。子どもが時間をかけてできないことができるようになる、ゆっくり成長するのと同じように、親自身も日々の養育行動を通して、我が子のために成熟した養育行動ができる親になっていくのです。

子育てしていると、次々に新たな困難が押し寄せてきます。子どもの成長と共に親が抱える子育ての悩みは変化していきます。子どもが赤ちゃんの時には、離乳食はうまくいくだろうか、目を離している間に怪我をしないだろうかなどの不安は尽きないでしょうし、幼児期になると幼稚園の生活に慣れてくれるだろうか、他の子どもと比べて私の子どもは何か問題があるのではないだろうかと思い悩む日もあるでしょう。

小学校に入ると、友達との関係で心配することも生じてくるかもしれません。目まぐるしく展開するデジタル化のなかで、携帯電話はいつから持たせたらいいのだろう、あんなにゲームばかりして大丈夫だろうかなど、悩みの性質は年齢によって大きく変化していくのです。つまり、何歳になったら、子育ては終わりという性質のものではないのです。

このように考えると、子育てする親は、誰もが悩ましい思いを抱えながら生きている、むしろ「子育てがうまくいった」と言う人はいないのではないでしょうか。「子育てで困っていることがある」、「仕事との両立で大変だ」、こういった悩みは、どの家庭の親も大なり小なり感じていることで、特別なことではないのです。
●いま抱えている悩みや不安を解消するために。
この悩みながらの子育てを人々はどうやってくぐり抜けていくことができるのでしょうか。困っていることを口にして誰かに聞いてもらうこと、困っている者同士で愚痴を言い合ったり、人生の先輩に話を聴いてもらったり、時には専門家に子育てアドバイスをしてもらったりする、つまり、誰かに頼ること、これに尽きると思います。

我が子のことについて、誰かにちょっと話したり、不安を聴いてくれる人がいたり、そういった場所があるだけで、気持ちがずいぶんと楽になります。是非、隣近所の人や地域の人で話ができそうな人がいないか見渡してみましょう。

住み始めたばかりの地域なので、近くに知り合いがいない人は、地域の幼稚園や保育園、子育て支援センターなどで話を聴いてもらうと良いでしょう。こういった場所では、園やセンターを地域に開放し、誰もが子どもを連れて園に行き、遊んだり話をしたりできる機会が設けられています。園や子育て支援センターの保育士の先生がじっくりと話を聴いてくれますし、また、そこには、他の親子も来ていますから、他の親と子育てで気になることや、家事や仕事との両立で悩んでいることを話題にしてみると良いでしょう。人に話をしてみると、「他の人も悩んでいるんだ」「同じような思いを抱えているんだ」と気づくことが多いものです。

親自身が悩みを抱えている場合、子どもと向き合う際に、じっくり子どもと向き合うことが難しくなっていることも心配しなければなりません。親が悩みからのストレスや疲れを抱えている場合、子どもは、それらを無意識に感じ取ってしまい、子ども自身も落ち着かなくなってしまう、つまり、子どもの心にも影響を与えてしまうことがあります。親がストレスや疲れをため込んでしまわず、ゆったりと子どもと過ごすことができることが大切です。我が子のためにも、一人で抱え込まず、周りの力を借りることに一歩踏み出してみましょう。
●子育てに優しい共生社会の実現を目指して。
誰かを頼って、サポートしてもらったときには誰もが心が楽になり、ハッピーな気持ちになります。それはサポートしてもらった側のみならず、サポートした側にとっても、誰かの役に立てたこと、「ありがとう」と言ってもらえることは、心地よいものでしょう。

今は子育てと仕事の両立に大きな苦労を感じながら過ごしていらっしゃるかもしれません。でもそういう時だからこそ、地域の人を頼り、職場の上司や先輩を頼り、いろいろな人々の力を借りましょう。力を貸してくれる人達の中には、数十年前、実は自分も苦労を感じながら子育てしていた方がいらっしゃいます。自分の子育てが一段落してきて、「子育てする若い人達に数十年前の自分の姿が重なり、応援したい」と思ってくださっているかもしれません。

そしてやがて、この相談をしてくださった方ご本人も、数十年後には、子育てする若い親達に地域で出会う日がくることでしょう。その時には、人生の先輩として応援していきましょう。

子育てにかかわって人々が支え合っていく営みは、これまでも、そしてこれからも、世代を超えて循環し、社会がつくられていくのではないでしょうか。子育ての悩みはもちろん、人々は誰もが悩みを抱えながら生きています。「話を聴いて欲しい」「困っていることがある」と社会に声を上げること、その声に地域の人々、社会が耳を傾けていく、そういう誰にとっても安心して生きていくことができる共生社会を皆でつくっていきたいものです。
永田彰子 安田女子大学教育学部児童教育学科
准教授
広島大学教育学研究科博士課程後期修了 博士(教育学)
専門分野は、発達心理学、子育て支援

【よくある相談シリーズ】うちの子、便秘ぎみのようです。

●毎日快適に過ごすために。
生きてゆくには「食べること」「眠ること」「排便すること」が基本ですから、排便することはからだのことを知る大切なサインです。

便秘は、排便が数日に1回程度に減少すること、毎日排便があっても少量しか出ないこと、便が硬いなど、排便がスムーズに行われない状態を指します。便秘の明確な定義はなく、排便の頻度や量には個人差があり、便に関する症状以外に、「おなかの張り」、「腹痛」、「食欲不振」、「吐き気や嘔吐」などの症状がみられることもあります。

子どもにおける便秘の原因の多くは、偏食や小食、ストレスといった生活習慣によるものや病気が原因になっている場合もあります。

からだのリズムには、規則的な「快食・快眠・快便」が直接・間接に関わりますので、「偏食や小食といった不適切な食事」、「不規則な生活」、「水分の摂取不足」、「運動不足」、「ストレス」など生活習慣によって便秘になることを防止することが大切です。

それでは、子どもの便秘の症状として、便秘の症状には個人差があり、排便の回数が少なく便がコロコロになる、毎日排便はあるが量が少ない、便失禁(下着に便が付いてしまう程度)がある。おなかの張りや腹痛、吐き気や嘔吐、食欲不振、不機嫌などの症状がみられます。

そこで日常生活でできることとして、便秘は生活習慣が原因となっていることが多いため、「規則正しい生活」、「食事や排便習慣」、「ストレスの解消」など、生活習慣の改善を図ることが大切です。また、水分、食物繊維(海藻類、きのこ類、豆類、穀類、果物など)や乳酸菌をたくさん摂るなど、食事により排便を促すことが効果的です。
 
つまり、便秘にならないようにするには、生活習慣を整えるだけではうまくいくとは限りません。それぞれのこどもの感受性・成長の早さ・生活能力のわずかな違いで、幼いこどもの便秘症ができあがりますので、便秘症に対処しなければならないこともあります。

排便できなくて困っている子どもに、出せるように手助けをしてください。食事で出せるようになるならそれでもよいし、お薬を使った方がよければかかりつけ医に相談するのもよいでしょう。子どもには手助けが必要です。「たかが便秘、されど便秘」です。気持ちの良い毎日を過ごすために…。
新沼正子 安田女子大学
心理学部現代心理学科 
教授
岡山大学養護教諭特別別科修了・ノートルダム清心女子大学大学院人間生活学研究科修士課程修了・岡山大学大学院保健学研究科博士後期課程単位取得後退学。中国電力株式会社で社員の健康管理等で25年間勤めた後、2013年から姫路大学看護学部で看護師養成に従事。2016年4月、安田女子大学に着任。専門は小児看護・小児保健・健康教育・養護教諭の看護技術に関する研究他。現在は所属する学会の研究者と3ケ国(中国・韓国・日本)の「幼児の健康管理に関する研究」に取り組んでいる。

【よくある相談シリーズ】AI時代でも英語を学ばせるべきでしょうか?

●テクノロジーとうしろめたさ。
最近は、ChatGPTなどに代表されるようなAI技術によって私たちの生活も随分と変わってきました。私の仕事は大学の教員ですが、学生の作成するレポートもそれが本人によるものなのか、それともAIが書いたものなのか区別がつかなくなってきています(幸か不幸か、これまでのところAIでこしらえたレポートを提出された経験は(おそらく)ありませんが)。

私の専門である英語教育でもAIの存在は大きくなっています。AIを使った翻訳や自動添削は十分実用に足るレベルに到達しています。もし英語を使う目的が単に「英語で情報を理解する・表現する」ことだけであれば機械にやらせてもさほど大きな問題は生じません。技術的には英語のプロレベルの仕事が今後AIによってできる訳ですから、人間が大量の時間をかけ、苦労して英語を学ぶことに万人が納得できるような意義を見出すのは困難です。英語にそんなに時間をかけるのであれば、他のことをやった方が良いという意見は出て当然だと思います。

テクノロジーは「人間の限られた能力ではできないこと」を可能にしてくれます。では私たちが(英語をはじめとする)外国語を学ぶことの意義はなんでしょうか? これは私の意見ですが、「人間にとって意思疎通における困難さの存在を痛感し、そこから他者との交わり方に思いをはせるようになる」ことが外国語を学ぶことの意義ではないかと考えています。

これは外国語だけに限りませんが「自分のことをだれも分かってくれない」「子どもに○○と言ったのに、全然親の気持ちをくんでくれない(この逆もしかり)」「自分を理解してくれる人はこの世に1人もいない」など、私達の生活は「断絶」とでも呼べるようなコミュニケーションの失敗に満ちています。それもそのはず、実はコミュニケーションなんてめったに成功するものではないのですから(むしろ「意思疎通ができた」と思えるほうが奇跡的なのかもしれません)。私達は一生をかけて、山ほどの失敗を繰り返しながら、「他人と自分は想像を絶するほど違う存在であること」を学んでいくのです。

外国語で他者と交わる時に大切なのは「自分の発するメッセージは理解されないかもしれない。だからしぶとく、丁寧に言葉を紡ぐ」という姿勢です。外国語は私達にとっては「異質なコード体系」です。私達は自分の思いを異なる言語に移し替える際に、自分の伝えたいメッセージやニュアンスが失われるのを目の当たりにし、「とまどい」や「痛み」を感じます。では、この「とまどい」や「痛み」は避けるべきものでしょうか。私はそうは思いません。「とまどいながら生きる」ことを忘れてしまった人間は、「他者の他者性」に鈍感であるがゆえに、他者に対して極めて残酷な態度をとるかもしれません。「とまどい」や「痛み」を伴う暮らしは居心地の悪いものですが、人間は日々の生活の中で幾分かの不全感を感じながら生きているくらいが良いのではないでしょうか。
●英語で迷ってみよう。
では英語での意思疎通において、私たちはどのような違和感を感じ、それにどう向き合っていくのでしょうか。今回はその中でも「メッセージの組み立て」について議論しようと思います。

私は自分の授業で、「英語のコミュニケーションにおいて単なる逐語訳でしのごうとするのは避けよう」と言っています。自分の発する言葉が「どのような状況で」「どのような相手に」用いられているかを意識する必要があるということです(ここではあえて「どのような目的で」とは書いていません。話し手の発話意図は必ずしも話し手の想定どおりに聞き手には解釈されない場合があるからです)。

コミュニケーションは真空地帯に字面だけが泳いでいるような状況とは異なります。話し手と聞き手、書き手と読み手は「相互に歩み寄る」態度をもちながら、行き着く先の見えない言語的「社交ダンス」を踊ります。

例えば、もし皆さんの親友が身内を亡くされた時、あなたはその方にどういう言葉をかけますか。「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」という言葉がけもあるでしょう。でもこれが唯一の正解ではありません。もし親友が憔悴しているようであれば「大丈夫?」と声をかけることがあるかもしれません。そしてこの状況における言葉の使用には「こう言えば間違いない」という絶対解があるわけではありません。仮にこのやりとりで親友が安堵した表情をしたとしても、皆さんはその人と別れた後で「あんな言い方しなければ良かった」「他に言うべきことがあったんじゃないか」とくよくよするかもしれません。

コミュニケーションというものは「耳に聞こえる(=音声)」「目に見える(=文字)」結果だけでなく、発言者の状況判断や価値観があらわになる営みなのです。そしてこの価値観は実に不確かなものなのです。

現在、小学校でも外国語(実質的には「英語」)の授業が行われています。これは私見ですが、英語の授業で子どもたちには「楽しみながら、とまどう」姿勢を育ててほしいと考えています。日本語と英語という大きく異なる言語間のギャップを迷いながら超えていくことで、不確かさに耐える力を身につけてほしいと私は願っています。

日本語で言いたいことはあるのだけど、それを英語にできないことはよくあります。もちろん時間をじっくりかけて調べれば良いのでしょうが、相手を目の前にしたやりとりとなるとそうもいきません。以下、私が考える「英語のメッセージの組み立て方」におけるルールをご紹介します。
 

こうすることで、簡単な英語を使って自分の言いたいことを表現できます。もちろんニュアンスは異なりますし、この英文は幼く響くかもしれません。でも、この「もどかしい物足りなさ」を感じることが外国語学習の醍醐味ともいえます。私たちは時間をかけて、この違和感と付き合いながら、自分の言いたいことや自分の人間性がより伝わるように英語の力をつけていくことが求められます。英語学習、たしかに大変ですけれど、この複雑さに付き合っていける方が増えてくると、随分と暮らしやすい社会になるのではないでしょうか。
平本哲嗣
広島大学教育学部卒業、広島大学大学院修了。博士(教育学)。専門領域は初等・中等英語教育、英語教育政策、ICT利用の英語教育。文部省交換留学生として1991〜1992年に英国オックスフォード大学に留学。現在、安田女子大学教育学部児童教育学科にて初等教員養成にあたっている。

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