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シドニー在住の絵本作家 森本順子さん逝く

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自らの被爆体験を描いた絵本「マイヒロシマ」の作者で、シドニー在住の森本順子さんが亡くなりました。85歳でした。

森本さんは13歳の時に広島で被爆。大阪で美術教師を勤めたあと、50歳の時(1982年)に姉・ブレア照子さんの住むオーストラリアへ移住し、絵本作家として活動を始めました。作品のひとつ「マイヒロシマ」はオーストラリアの小学校で平和教材として使われ、森本さん自身も地元の小学校から声がかかると積極的に出向いて、原爆の恐ろしさや平和の尊さを子ども達へ語りかけました。

広島日豪協会の事務局があるテレビ新広島は、シドニー支局があった1993年に森本さんを取材して、広島の視聴者へ伝えました。協会としては、会報23号(2005年11月)に「オーストラリアで思う60年前のヒロシマ」を寄稿していただいたほか、記事として、会報21号(2004年8月)会報29号(2011年9月)で取り上げました。事務局は森本さんとメールのやり取りをしていましたが、最後の連絡となったのは2016年8月で、「3年前に脳腫瘍の一種を患い、治療の影響もあって耳が不自由になって外出が困難になった。杖で家の中を歩き回っている」と近況が知らされていました。

森本さんの訃報は豪・国営放送ABCでも伝えられ、「森本さんは8月(亡くなる1か月)にターンブル豪首相宛てに手紙を送り、核兵器禁止条約に署名するよう求めた」というエピソードも紹介されました。

出版から30年経った「マイヒロシマ」は、オーストラリアのみならず世界中の子ども達に読まれるほどに広がりました。1993年、森本さんはテレビカメラの前でこのように語っています。「私がこの世から消えても、あの本(マイヒロシマ)は生き続けていくんだなと思います。生き続けてほしいし、(核廃絶が実現して、訴えることの)必要がなくなると、もっといいですけどね…」 と。

森本さんのご冥福と合わせて、核廃絶・世界平和を祈らずにはいられません。(協会事務局)

広島日豪協会・会報での森本さん記事